リ凭懸《よりかか》ると、前の方に滑《のめ》る事がありますよ。これまでにも随分ウッカリして転げ墜《お》ちた方が幾人もあります」と聞きもあえず、私は慌てて、「そ、それは不意に墜《お》ちるのですね、シテそれは夜ですか、昼ですか」と尋ねると、女房は打案《うちあん》じて、「サア何時《いつ》と限った事もありませんが、マア闇《くら》い時の方が多いようですね、ツマリ闇《くら》いから其様《そん》な疎匆《そそう》をするのでしょうよ」と澄《すま》している。けれども、それは闇《くら》い為ばかりでない、確《たしか》に他《た》に一種の魔力が手伝うに相違ない。で、私は重ねて、「で、其《そ》の墜《お》ちた人は何《ど》うしました、死んだ人もありましたか」相手は頭《かしら》を振って、「イエ死《しん》だ方はありません、ただ怪我《けが》をする位の事です、併《しか》し今から百年ほど以前《まえ》にこのお邸《やしき》の若様が、アノ窓から真逆様《まっさかさま》に転げ墜《お》ちて、頸《くび》の骨を挫《くじ》いて死んだ事があるさうです[#「さうです」はママ]」と、聞く事々に私はおのずから胸の跳《おど》るを覚えたが、猶《なお》も透《すか》さず、「それで何日《いつ》頃から其様《そん》な事が始《はじま》ったのですね」と問えば、番人は小首をかたげて、「サア何日《いつ》頃からか知りませんが、何でも其《そ》の若様が窓から墜《お》ちて死《しん》だ後《のち》、その阿母《おふくろ》様もブラブラ病《やまい》で、間もなく御死亡《おなくなり》になったのです。で、その後も兎《と》かくに其《そ》の窓から墜《お》ちる人があるので、当時《いま》の殿様も酷《ひど》くそれを気にかけて、近々《ちかぢか》の中《うち》にアノ窓を取毀《とりこわ》して建直《たてなお》すとか云ってお在《いで》なさるそうですよ」と、何か仔細のありさうな[#「ありさうな」はママ]噺《はなし》。そう聞いては猶々《なおなお》聞逃《ききのが》す訳には往《ゆ》かぬ、私は猶《なお》も畳《たたみ》かけて、「それじゃア其《そ》の窓が祟るのだね」相手は笑って、「真逆《まさか》そういう訳でもありますまいよ、併《しか》し其《そ》の若様が変死した事については、いろいろの評判があるのです」
 噺《はなし》はいよいよ本題に入《い》って来たから、私もいよいよ熱心に、「え、それは何《ど》ういう理屈だね、何《ど》んな評判があるのだね」と、思わず身を乗出《のりだ》して相手の顔を覗き込むと、番人は顔を皺《しか》めて少しく低声《こごえ》になり、「これは内證《ないしょう》のお噺《はなし》ですがね、勿論《もちろん》百年も以前《まえ》の事ですから、誰も実地を見たという者もなく、ほんの当推量《あてずいりょう》に過ぎないのですが、昔からの伝説《いいつたえ》に依ると、当時《いま》の殿様の曾祖父様《ひいおじいさま》の時代の噺《はなし》で、その奥様が二歳《ふたつ》になる若様を残して御死亡《おなくなり》になりました、ソコで間もなく他《た》から後妻《にどぞい》をお貰いになって、その二度目の奥様のお腹《はら》にも男のお児様が出来たのです。けれども、其《そ》の奥様は大層お優しい方で、わが産《うみ》の児よりも継子《ままこ》の御総領の方を大層可愛がって、俗《よ》にいう継母《ままはは》根性などと云う事は少しもない、誠に気質《きだて》の美しい方でした。ところが、其《そ》の御総領の若様が五歳《いつつ》になった時、ある日アノ窓の側《そば》で遊んでいる中《うち》、どうした機会《はずみ》か其《そ》の窓の口から真逆《まっさか》さまに転げ墜《お》ちて、敷石で頸《くび》の骨を強く撲《う》ったから堪《たま》りません、其《そ》のまま二言《にごん》といわず即死して了《しま》ったのです。サアそこですね、それに就いて種々《いろいろ》の風説がある。と云うのは、彼《か》の継母の奥様が背後《うしろ》から不意に其《そ》の若様を突落《つきおと》したに相違ないと云う評判で、一時は随分面倒でしたが、何をいうにも証拠のない事、とうとうそれなりに済んで了《しま》ったのです」と息も吐《つ》かずに饒舌《しゃべ》るのを、私も固唾《かたづ》を呑んで聞澄《ききすま》していたが、其《そ》の噺《はなし》の了《おわ》るを待兼《まちか》ねて、「併《しか》しそれが可怪《おかし》いじゃアないか、其《そ》の奥様は大層継子を可愛がったと云うのに、どうして其《そ》んな怖しい事を巧《たく》んだのだろう」相手は私の無経験を嘲《あざ》けるように冷笑《あざわら》って「サアそこが女の浅猿《あさまし》さで、表面《うわべ》は優しく見せかけても内心は如夜叉《にょやしゃ》、総領の継子を殺して我が実子《じっし》を相続人に据えようという怖しい巧《たく》みがあったに相違ないのです。それが一般の評判になったので、表向《おもてむき》の罪人にこそならないけれども、御親類御一門も皆その奥様を忌嫌《いみきら》って、誰《たれ》も快く交際する者もなく、果《はて》は本夫《おっと》の殿様さえも碌々《ろくろく》に詞《ことば》を交《かわ》さぬ位《くらい》。で、奥様も人に顔を見られるのを厭《いと》って、年中アノ座敷に閉籠《とじこも》ったままで滅多に外へ出た事も無かったでしたが、ツマリ自分の良心に責められたのでしょう、気病《きやみ》のようにブラブラと寝つ起きつ、凡《およ》そ一年ばかりも経つ中《うち》に、ある日アノ窓の側《そば》まで行くと、急に顔色が変《かわ》ってパッタリ倒れたまま死んで了《しま》ったそうです。心柄《こころがら》とは云いながら誠にお気の毒な事で、それから後《のち》は愈《いよい》よ其《そ》の奥様が若様を殺したに相違ないと決定して、今まで優しい方だ、美しい奥様だと誉めた者までが、継子殺しの鬼よ、悪魔よと皆口々に罵《ののし》ったという事です」と、苦々《にがにが》しげに物語る。以上の噺《はなし》で彼《か》の怪しい貴婦人の正体も大抵推察された。で、そう事が解って見ると、私は猶々《なおなお》怖く恐しく感じて、迚《とて》もここに長居する気がないから、其日《そのひ》の中《うち》に早々《そうそう》ここを引払《ひきはら》って、再び倫敦《ロンドン》へ逃帰《にげかえ》る。その仔細を知らぬ番人夫婦は、余りお早いではありませんか、せめてモウ五六日、せめて殿様がお出《いで》になるまで、と詞《ことば》を尽して抑留《ひきと》めたが、私はモウ気が気でない、無理に振切《ふりき》って逃げて帰った。
 で、私の臆病には自分ながら愛想《あいそ》の竭《つ》きる位で、倫敦へ帰った後《のち》も、例の貴婦人の怖い顔が明けても暮れても我眼《わがめ》に彷彿《ちらつ》いて、滅多に忘れる暇《ひま》がない。そこで私も考えた、自分の職業は画工である、斯《かか》る怪異《あやしみ》を見て唯《ただ》怖い怖いと顫《ふる》えているばかりが能でもあるまい、其《そ》の怪しい形の有《あり》のままを筆に上《のぼ》せて、いかに其《そ》れが恐しくあったかと云う事を他人《ひと》にも示し、また自分の紀念《きねん》にも存して置こうと、いしくも思い立ったので、其日《そのひ》から直《ただ》ちに画筆《えふで》を把《と》って下図《したず》に取《とり》かかった。で、わが眼の前に絶えず彷彿《ちらつ》く怪しの影を捉えて、一心不乱に筆を染めた結果、何《ど》うやら斯《こ》うやら其《そ》の真《しん》を写し得て、先《ま》ず大略《あらまし》は出来《しゅったい》した頃、丁度《ちょうど》私と引違《ひきちが》えて彼《か》の別荘へ避暑に出かけた貴族エル何某《なにがし》が、其《そ》の本邸に帰ったという噂を聞いたので、先日の礼かたがた其《そ》の邸《やしき》を初めて訪問した。主人《あるじ》のエルは喜んで私を応接間へ延《ひ》いて、「過日は別荘の方へ御立寄《おたちより》下すったそうでしたが、アノ通りの田舎家で碌々《ろくろく》お構い申しも致さんで、豪《えら》い失礼しました」と鄭寧《ていねい》な挨拶、私は酷《ひど》く痛み入《い》って、「イヤどうも飛んだ御厄介になりました、実はモウ四五日もお邪魔をいたす筈でしたが、宅の方に急用が出来ましたので、早々にお暇《いとま》いたしました」と、口から出任せの口上、何にも知らぬ主人《あるじ》は首肯《うなず》いて、「ハアそうでしたか、私もお跡《あと》から直《すぐ》に別荘へ出かけましたが、貴方はモウお帰りになったと聞いて、甚だ失望しました、併《しか》し幸い今日は何《なん》にも用事もありませんから、ゆるゆるお噺《はなし》でも伺いたいものです」と、誠に如才《じょさい》ない接待振《あつかいぶり》で、私も思わずここに尻を据えて、殆《ほとん》ど三時間ほども世間噺に時を移した。それから、先祖代々の肖像画をお目にかけようと云うので、主人《あるじ》が先に立って奥の一室へ案内する、私も何心《なにごころ》なく其《そ》の跡について行くと、貴族の家の習慣《ならい》として、広い一室の壁に先祖代々の人々の肖像画が順序正しく懸《か》け列《つら》ねてある。で、一々これを仰《あお》ぎ視《み》ている中《うち》に、私は思わずアッと叫んだ。と云うのは他《ほか》でもない、彼《か》の恐しい貴婦人の顔が活けるが如くに睨んでいるのだ。其《そ》の恐しい顔、実に先夜の顔と寸分|違《たが》わず、彼《か》の幽霊が再びここへ迷い出たかと思われる位《くらい》、私は我にもあらで身を顫《ふる》わせた。その挙動が余《よ》ほど不思議に見えたのであろう、主人《あるじ》は私の顔をジロジロ視《み》て、「あなた、どうか為《し》ましたか」私は半《なかば》は夢中で、「ハイあれです、確《たしか》にあれです、私は確《たしか》に見ました」と辻褄《つじつま》のあわぬ返事、主人は愈《いよい》よ不思議そうに眉を顰《ひそ》めたが、やがて俄《にわか》に笑い出して、「あなた、其《そ》の人に逢った事がありますか。それは百年も以前《まえ》の人です、アハハハハ」と、斯《こ》う云われて私も気が付いた、成《なる》ほど其《そ》の仔細を知らぬ主人《あるじ》が不思議に思うも道理《もっとも》と、ここで彼《か》の別荘の怪談を残らず打明《うちあ》けると、主人《あるじ》もおどろいて面色《いろ》を変えて、霎時《しばし》は詞《ことば》もなかったが、やがて大息ついて、「世には不思議な事もあるものですな、実はこの婦人に就《つい》ては一条の噺《はなし》があるので」と、曩《さき》に彼《か》の別荘の番人が語った通りの昔語《むかしかたり》、それを聞けば最早疑うべくもないが、いまは百年も昔の事、其《そ》の以来|曾《かつ》て斯《かか》る怪異《あやしみ》を見た者もなく、現に十五六年来も其《そ》の別荘に住む番人夫婦すらも、曾《かつ》て見もせず聞きもせぬ幽霊の姿を、無関係の私が何《どう》して偶然に見たのであろう、加之《しか》も二晩もつづけて見るというのは実に解《げ》し兼ぬる次第で、思えば思うほど実に不思議な薄気味の悪い噺《はなし》だ。で、主人《あるじ》の驚愕《おどろき》は私よりも又一倍で、そう聞く上は最早一刻も猶予は出来ぬ、早速その窓を取毀《とりこわ》し、時宜《じき》に依《よ》れば其《そ》の室全体を取壊《とりくず》して了《しま》わねばならぬと、直《すぐ》に家令を呼んで其《そ》の趣《おもむき》を命令した。で、今頃は其《そ》の窓も容赦なく取毀《とりこわ》されて、継母《ままはは》の執念も其《そ》の憑《よ》る所を失ったであろうか。

 以上が画工エリックの物語で、同雑誌記者の附記する所によれば、彼《か》の画工の筆に成った恐しき婦人の絵姿は此《こ》のほど全く出来《しゅったい》したが、何さま一種云われぬ物凄い恐しい顔である、婦人の如き、其《そ》の図を一目見るや忽《たちま》ちに魘《おび》えて顫《ふる》えて、其後《そのご》一週間ほどは病床に倒れたという。で、普通の日本人の考慮《かんがえ》から云うと、殺した方の人が化けて出るというのは、些《ち》と理屈に合わぬように聞《きこ》えるが、何分にも其処《そこ》が怪談、万事不可思議の所が事実譚《じじつだん》の価値《ねうち》であろ
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