する[#「するする」に傍点]と窓の口へ立寄《たちよ》って、両肱《りょうひじ》を張って少し屈《かが》むかと見えたが、何でも全身の力を両腕に籠めて、或物《あるもの》を窓の外へ推出《おしだ》し突出《つきだ》すような身のこなし、それが済むと忽《たちま》ち身を捻向《ねじむ》けて私の顔をジロリ、睨まれたが最期、私はおぼえず悚然《ぞっ》として最初《はじめ》の勇気も何処《どこ》へやら、ただ俯向《うつむ》いて呼吸《いき》を呑んでいると、貴婦人は冷《ひやや》かに笑って又|彼方《あなた》へ向直《むきなお》るかと思う間もなく、室内は再び闇《くら》くなって其《そ》の姿も消え失せた、夢でない、幻影《まぼろし》でない、今夜という今夜は確《たしか》に其《そ》の実地を見届けたのだ、あれが俗《よ》にいう魔とか幽霊とか云うものであろう。
もうこの上は我慢も遠慮もない、その翌朝例の如く食事を初めた時に、私は番人夫婦に向《むか》って、「お前さん達は長年この別荘に雇われていなさるのかね」と、何気なく尋ねると、夫の方は白髪頭《しらがあたま》を撫でて、「はい、私《わたく》しは当年五十七になりますが、丁度《ちょうど》四十一の年からここに雇われて居ります」と云う。私も怪談を探り出す端緒《いちぐち》に困ったが、更に左《さ》あらぬ体《てい》で、「併《しか》しお前さん達は夫婦|差向《さしむか》いで、こんな広い別荘に十何年も住んでいて、寂しいとか怖いとか思うような事はありませんかね」と、それとは無しに探りを入れたが、相手は更に張合《はりあい》のない調子で、「別に何とも思いません、斯《こ》うして数年《すねん》住馴《すみな》れて居りますと、別に寂しい事も怖い事もありません」と、笑っている。けれども、怖い事や怪しい事が無い筈はない、現に私が二晩もつづけて彼《か》の妖怪を見届けたのだ。で、更に問《とい》を替《かえ》て、「私の拝借しているアノお座敷は中々立派ですね、お庭もお広いですね、実は昨夜、夜半《よなか》に眼が醒めたのでアノ窓をあけて庭を眺めて居《い》ましたが、夜の景色は又格別ですね」と、そろそろ本題に入《い》りかかると、番人の女房が首肯《うなず》いて、「お庭は随分お広うござんすから、夜の景色は中々|宜《よろ》しゅうございましょう、併《しか》し貴方、アノ窓は普通《なみ》の窓より余《よ》ほど低く出来ていますから、馴れない方がウッカリ凭懸《よりかか》ると、前の方に滑《のめ》る事がありますよ。これまでにも随分ウッカリして転げ墜《お》ちた方が幾人もあります」と聞きもあえず、私は慌てて、「そ、それは不意に墜《お》ちるのですね、シテそれは夜ですか、昼ですか」と尋ねると、女房は打案《うちあん》じて、「サア何時《いつ》と限った事もありませんが、マア闇《くら》い時の方が多いようですね、ツマリ闇《くら》いから其様《そん》な疎匆《そそう》をするのでしょうよ」と澄《すま》している。けれども、それは闇《くら》い為ばかりでない、確《たしか》に他《た》に一種の魔力が手伝うに相違ない。で、私は重ねて、「で、其《そ》の墜《お》ちた人は何《ど》うしました、死んだ人もありましたか」相手は頭《かしら》を振って、「イエ死《しん》だ方はありません、ただ怪我《けが》をする位の事です、併《しか》し今から百年ほど以前《まえ》にこのお邸《やしき》の若様が、アノ窓から真逆様《まっさかさま》に転げ墜《お》ちて、頸《くび》の骨を挫《くじ》いて死んだ事があるさうです[#「さうです」はママ]」と、聞く事々に私はおのずから胸の跳《おど》るを覚えたが、猶《なお》も透《すか》さず、「それで何日《いつ》頃から其様《そん》な事が始《はじま》ったのですね」と問えば、番人は小首をかたげて、「サア何日《いつ》頃からか知りませんが、何でも其《そ》の若様が窓から墜《お》ちて死《しん》だ後《のち》、その阿母《おふくろ》様もブラブラ病《やまい》で、間もなく御死亡《おなくなり》になったのです。で、その後も兎《と》かくに其《そ》の窓から墜《お》ちる人があるので、当時《いま》の殿様も酷《ひど》くそれを気にかけて、近々《ちかぢか》の中《うち》にアノ窓を取毀《とりこわ》して建直《たてなお》すとか云ってお在《いで》なさるそうですよ」と、何か仔細のありさうな[#「ありさうな」はママ]噺《はなし》。そう聞いては猶々《なおなお》聞逃《ききのが》す訳には往《ゆ》かぬ、私は猶《なお》も畳《たたみ》かけて、「それじゃア其《そ》の窓が祟るのだね」相手は笑って、「真逆《まさか》そういう訳でもありますまいよ、併《しか》し其《そ》の若様が変死した事については、いろいろの評判があるのです」
噺《はなし》はいよいよ本題に入《い》って来たから、私もいよいよ熱心に、「え、それは何《ど》ういう理屈だね、何《ど》ん
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