見れば尋常一様《じんじょういちよう》の貴婦人で、別に何の不思議もないが、扨《さて》その顔に一種の凄味を帯びていて、迚《とて》も正面から仰《あお》ぎ視《み》るべからざる恐しい顔で、大抵の婦人《おんな》小児《こども》は正気を失うこと保証《うけあい》だ。
扨《さて》その翌朝になると、番人夫婦が甲斐甲斐《かいがい》しく立働《たちはたら》いて、朝飯の卓子《テーブル》にも種々《いろいろ》の御馳走が出る、その際、昨夜《ゆうべ》の一件を噺《はな》し出そうかと、幾たびか口の端《さき》まで出かかったが、フト私の胸に泛《うか》んだのは、若《もし》や夢ではなかったかと云う一種の疑惑《うたがい》で、迂濶《うかつ》に詰《つま》らぬ事を云い出して、飛《とん》だお笑い種《ぐさ》になるのも残念だと、其《そ》の日は何事も云わずに了《しま》ったが、何《ど》う考えても夢ではない、確《たしか》に実際に見届けたに違いない、併《しか》し実際にそんな事のあろう筈がない、恐らくは夢であろう、イヤ事実に相違ないと、半信半疑に長い日を暮して、今日もまた闇《くら》き夜となった、夢か、事実か、その真偽を決するのは今夜にあると、私は宵から寝台《ねだい》に登《あが》ったが、眼は冴えて神経は鋭く、そよ[#「そよ」に傍点]との風にも胸が跳《おど》って迚《とて》も寝入られる筈がない、その中《うち》に段々、夜も更《ふ》けて恰《あたか》も午前二時、即ち昨夜《ゆうべ》とおなじ刻限になったから、汝《おの》れ妖怪変化|御《ご》ざんなれ、今夜こそは其《そ》の正体を見とどけて、あわ好《よ》くば引捉《ひっとら》えて化《ばけ》の皮を剥《は》いで呉《く》れようと、手ぐすね引いて待構《まちかま》えていると、神経の所為《せい》か知らぬが今夜も何だか頭の重いような、胸の切ないような、云うに云われぬ嫌な気持になって、思わず半身《はんしん》を起《おこ》そうとする折こそあれ、闇《くら》い、闇《くら》い、真闇《まっくら》な斯《こ》の一室が俄《にわか》にぱっ[#「ぱっ」に傍点]と薄明るくなって恰《あたか》も朧月夜《おぼろづきよ》のよう、扨《さて》はいよいよ来たりと身構えして眼を瞠《みは》る間《ひま》もなく、室《しつ》の隅から忽《たちま》ち彼《か》の貴婦人の姿が迷うが如くに現われた。ハッと思う中《うち》に、貴婦人は昨夜《ゆうべ》の如く、長い裾《すそ》を曳《ひ》いてする
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