》たる烈日の下に、他の草花の凋《しお》れ返っているのをよそに見て、悠然とその大きい花輪をひろげているのを眺めると、暑い暑いなどと弱ってはいられないような気がする。
鶏頭も美しいものである。これにも種々あるらしいが、やはり普通の深紅色がよい。オレンジ色も美しい。これも初霜の洗礼を受けて、その濃い色を秋の日にかがやかしながら、見あぐるばかりに枝や葉を高く大きく拡げた姿は、まさに目ざましいと礼讃するのほかはない。わたしの庭ばかりでなく、近所の籬落には皆これを栽えているので、秋日散歩の節には諸方の庭をのぞいて歩く。それが私の一つの楽《たのし》みである。葉鶏頭は鶏頭に比してやや雄大の趣を欠くが、天然の錦を染め出した葉の色の美しさは、なんとも譬えようがない。しかもわたしの庭の葉鶏頭は、どういうわけか年々の成績がよろしくない。他から好い種を貰って来ても、あまり立派な生長を遂げない。私はこれのみを遺憾に思っている。
わたしの庭の草花は勿論これに留まらないが、わたしの最も愛するものは以上の数種で、いずれも花壇に栽えられているものではない。それにつけても、考えられるのは自然の心である。自然は人の労力を
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