たくわたしの附近では、家根瓦をふるい落された家があるくらいのことで、著るしい損害はないらしかった。わたしの家でも眼に立つほどの被害は見出されなかった。番町方面の煙はまだ消えなかったが、そのあいだに相当の距離があるのと、こっちが風上に位しているのとで、誰もさほどの危険を感じていなかった。それでもこの場合、個々に分れているのは心さびしいので、近所の人たちは私の門前を中心として、椅子や床几や花むしろを一つところに寄せあつめた。ある家からは茶やビスケットを持出して来た。ビールやサイダーの壜《びん》を運び出すのもあった。わたしの家からも梨を持出した。一種の路上茶話会がここに開かれて、諸家の見舞人が続々|齎《もた》らしてくる各種の報告に耳をかたむけていた。そのあいだにも大地の震動はいくたびか繰返された。わたしは花むしろのうえに坐って、『地震加藤《じしんかとう》』の舞台を考えたりしていた。
こうしているうちに、日はまったく暮れ切って、電灯のつかない町は暗くなった。あたりがだんだん暗くなるに連れて、一種の不安と恐怖とがめいめいの胸を強く圧して来た。各方面の夜の空が真紅にあぶられているのが鮮かにみえて
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