大正十二年九月一日を迎えたのであった。この朝は誰も知っている通り、二百十日前後に有勝《ありがち》の何となく穏かならない空模様で、驟雨《しゅうう》がおりおりに見舞って来た。広くもない家のなかは忌《いや》に蒸暑かった。二階の書斎には雨まじりの風が吹き込んで、硝子戸《ガラスど》をゆする音がさわがしいので、わたしは雨戸をしめ切って下座敷の八畳に降りて、二、三日まえから取りかかっている『週刊朝日』の原稿をかきつづけていた。庭の垣根から棚のうえに這《は》いあがった朝顔と糸瓜《へちま》の長い蔓《つる》や大きい葉が縺《もつ》れ合って、雨風にざわざわと乱れてそよいでいるのも、やがて襲ってくる暴風雨を予報するようにも見えて、わたしの心はなんだか落ちつかなかった。
勉強して書きつづけて、もう三、四枚で完結するかと思うところへ、図書刊行会の広谷君が雨を冒して来て、一時間ほど話して帰った。広谷君は私の家から遠くもない麹町《こうじまち》山元町に住んでいるのである。広谷君の帰る頃には雨もやんで、うす暗い雲の影は溶けるように消えて行った。茶の間で早い午飯をくっているうちに、空は青々と高く晴れて、初秋の強い日のひかり
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