たしの横町ではどこでも荷ごしらえをするらしい様子もみえなかった。午前一時頃、わたしは麹町の大通りに出てみると、電車道は押返されないような混雑で、自動車が走る、自転車が走る。荷車を押してくる、荷物をかついでくる。馬が駈ける、提灯《ちょうちん》が飛ぶ。色々のいでたちをした男や女が気ちがい眼でかけあるく。英国大使館まえの千鳥ヶ淵公園附近に逃げあつまっていた番町方面の避難者は、そこにも火の粉がふりかかって来るのにうろたえて、更に一方口の四谷方面にその逃げ路《みち》を求めようとするらしく、人なだれを打って押寄せてくる。うっかりしていると、突き倒され、蹈みにじられるのは知れているので、わたしは早々に引返して、更に町内の酒屋の角に立って見わたすと、番町の火は今や五味坂上の三井邸のうしろに迫って、怒濤のように暴れ狂う焔のなかに西洋館の高い建物がはっきりと浮き出して白くみえた。
迂回してゆけば格別、さし渡しにすれば私の家から一|町《ちょう》あまりに過ぎない。風上であるの、風向きが違うのと、今まで多寡《たか》をくくっていたのは油断であった。――こう思いながら私は無意識にそこにある長床几に腰をかけた。床几のまわりには酒屋の店の者や近所の人たちが大勢寄りあつまって、いずれも一心に火をながめていた。
「三井さんが焼け落ちれば、もういけない。」
あの高い建物が焼け落ちれば、火の粉はここまでかぶってくるに相違ない。わたしは床几をたちあがると、その眼のまえには広い青い草原が横《よこた》わっているのを見た。それは明治十年前後の元園町の姿であった。そこには疎《まば》らに人家が立っていた。わたしが今立っている酒屋のところにはお鉄《てつ》牡丹餅《ぼたもち》の店があった。そこらには茶畑もあった。草原にはところどころに小さい水が流れていた。五つ六つの男の児《こ》が肩もかくれるような夏草をかけ分けてしきりにばった[#「ばった」に傍点]を探していた。そういう少年時代の思い出がそれからそれへと活動写真のようにわたしの眼の前にあらわれた。
「旦那。もうあぶのうございますぜ。」
誰がいったのか知らないが、その声に気がついて、わたしはすぐに自分の家へ駆けて帰ると、横町の人たちももう危険の迫って来たのを覚ったらしく、路上の茶話会はいつか解散して、どこの家でも俄《にわか》に荷ごしらえを始め出した。わたしの家の暗いなかに
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