中を歩く奴があるものか、待て待て、俺が始末をして遣ると、背後から手を伸して其《そ》の後褄《うしろづま》を引あげ、裳をクルリと捲る途端にピカリ、はッと思って目を据えると、驚くべし、小僧の尻の左右に金銀の大きな眼があって、爛々として我を睨むが如くに輝いているから、一時は思わず悸然《ぎょっ》としたが、流石《さすが》は平生から武芸自慢の男、この化物|奴《め》と、矢庭に右手《めて》に持ったる提灯を投げ捨てて、小僧の襟髪掴んで曳とばかりに投出すと、傍《かたえ》のドンドンの中へ真逆《まっさか》さまに転げ墜ちて、ザンブと響く水音、続いて聞ゆるはカカカカと云うような、怪しい物凄い笑い声、提灯は消えて真の闇。
汝《おの》れ化物、再び姿を現わさば真二つと、刀の柄に手をかけて霎時《しばし》の間、闇《くら》き水中を睨み詰めていたが、ただ渦巻落つる水の音のみで、その後は更に音の沙汰もない。ええ忌々《いまいま》しい奴だと呟きながら、其《その》夜は其《その》ままに邸《やしき》へ帰ったが、扨《さて》能《よ》く能く考えて見ると、あれが果して妖怪であろうか、万一我が驚愕《おどろき》と憤怒《いかり》の余りに、碌々に其《そ》の正体も認めず、※[#「二点しんにょう+(山/而)」、第4水準2−89−92]《はやま》って真実《まこと》の人間を投込んだのではあるまいかと、半信半疑で其《その》夜を明し、翌朝念の為に再び彼《か》のドンドンへ往って見ると、昨夜《ゆうべ》に変らぬは水の音のみで、更に人らしい者の姿も見えぬ、猶念の為に他の人々にも聞合せ、流れの末をも其《そ》れぞれ取調べたが、小僧は愚か、犬の死骸さえ流れ寄ったと云う噂も聞えぬ。で、若し真実《まこと》の人間とすれば、右の如き大雨と云い夜中と云い、殊《こと》に彼《か》のドンドンの如き急流の深淵《ふかみ》に於て、迚《とて》も無事に浮び上れよう筈も無し、さりとて其《その》死体の見当らぬも不思議、正しく彼の小僧は河童であろう、イヤ獺《かわうそ》であろうと、知る者|何《いず》れも云い伝えて、其《その》当分は夜に入って彼《か》のドンドンの畔《ほとり》を通る者もない位で、葵阪のドンドンには河童が住むという評判|盛《さかん》であったが、其《その》後別に怪しい噂も無かったのを見れば、河童小僧、飛んだ目に逢って懲々《こりごり》したのであろうか、兎にかく其《その》小僧の尻に金銀の眼
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