その設備が出来てからでも、地方の電灯は電力が十分でないと見えて、夜の風呂場などは濛々《もうもう》たる湯気に鎖《とざ》されて、人の顔さえもよく見えないくらいである。まして電灯のない温泉場で、うす暗いランプの光をたよりに、夜ふけのふろなどに入っていると、山風の声、谷川の音、なんだか薄気味の悪いように感じられることもあった。今日でも地方の山奥の温泉場などへ行けば、こんなところがないでもないが、以前は東京近傍の温泉場も皆こんな有様であったのであるから、現在の繁華に比較して実に隔世の感に堪えない。したがって、昔から温泉場には怪談が多い。そのなかでやや異色のものを左に一つ紹介する。
 柳里恭《りゅうりきょう》の『雲萍雑志《うんぴょうざっし》』のうちに、こんな話がある。
「有馬に湯あみせし時、日くれて湯桁《ゆげた》のうちに、耳目鼻のなき痩法師の、ひとりほと[#「ほと」に傍点]/\と入りたるを見て、余は大いに驚き、物かげよりうかゞふうち、早々湯あみして出でゆく姿、骸骨の絵にたがふところなし。狐狸《こり》どもの我をたぶらかすにやと、その夜は湯にもいらで臥《ふ》しぬ。夜あけて、この事を家あるじに語りければ
前へ 次へ
全18ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング