いるそうです。」
「覚悟している……。それでは自首するつもりかね。」
「それが困るのです。」と、野童は顔をしかめた。「自分でもそう覚悟をしていながら、やはり女の未練で、きょうも冬坡を寺の墓地へよび出して、これから一緒に北海道へ逃げてくれと頻りに口説いているのです。」
「冬坡はどこにいるね。」
「今はわたくしの家の奥座敷に置いてあるのです。うっかりした所にいると、染吉が付きまとって来て何をするか判りませんから。」
「よろしい。それではすぐに女を引挙げることにしよう。君の留守に、冬坡が又ぬけ出しでもすると困るから、早く帰って保護していてくれ給え。」
 野童をさきに帰して、わたしはすぐに官服に着かえて出ると、表はもう眼もあけられないような吹雪になっていた。署へ行って染吉を引致の手続きをすると、彼女は午後から一度も抱え主の家へ帰らないというのであった。停車場へ聞き合せにやったが、彼女が汽車に乗込んだような形跡はなかった。
 もしやと思って、弁天社内を調べさせると、あたかもお照とおなじように、その死体は池の中から発見された。雪と水とに濡れている染吉のふところには、古い鏡を大事そうに抱いていた。冬坡を連れて逃げる望みもないとあきらめて、彼女はここを死に場所に選んだのであろう。お照がみずから滑り込んだのであれば勿論、たとい染吉が引摺り込んだとしても、事情が事情であるから死刑にはなるまい。しかも彼女は思い切って恋のかたきの跡を追ったのである。
 鏡は青銅でつくられて、その裏には一双の鴛鴦《おしどり》が彫ってあった。鑑定家の説によると、これは支那から渡来したもので、おそらく漢の時代の製作であろうということであった。漢といえば殆んど二千年の昔である。そんな古い物がいつの代《よ》に渡って来て、こんなところにどうして埋められていたのか、勿論わからない。さらに不思議なのは、染吉もお照もおなじ夢を見せられて、その鏡のために同じ終りを遂げたことである。弁天さまに対して恋の願掛けなどをしたために、そんな祟りを蒙ったのであろうと、花柳界の者は怖ろしそうに語り伝えていた。実際わたし達にもその理屈が判らないのであるから、迷信ぶかい花柳界の人々がそんなことを言いふらすのも無理はなかった。殊にその鏡の裏に鴛鴦が彫ってあったということも、この場合には何かの意味ありげにも思われた。
 冬坡は一応の取調べを受けた
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