ない。軍《いくさ》のような騒ぎという評は当らない。ここの動揺は確《たしか》に戦場以上であろうと思う。
二 ヘボン先生
今朝の新聞を見ると、ヘボン先生は二十一日の朝、米国のイーストオレンジに於て長逝《ちょうせい》せられたとある。ヘボン先生といえば、何人《なんぴと》もすぐに名優|田之助《たのすけ》の足を聯想し、岸田の精※[#「金+奇」、第3水準1−93−23]水《せいきすい》を聯想し、和英字書を聯想するが、私もこの字書に就ては一種の思い出がある。
私が十五歳で、築地の府立中学校に通っている頃、銀座の旧《きゅう》日報社の北隣《きたどなり》――今は額縁屋《がくぶちや》になっている――にめざまし[#「めざまし」に傍点]と呼ぶ小さい汁粉屋《しるこや》があって、またその隣に間口二|間《けん》ぐらいの床店《とこみせ》同様の古本店があった。その店頭《みせさき》の雑書の中に積まれていたのは、例のヘボン先生の和英字書であった。
今日《こんにち》ではこれ以上の和英字書も数種刊行されているが、その当時の我々は先《ま》ずヘボン先生の著作に縋《すが》るより他《ほか》はない。私は学校の帰途、その店頭に立って「ああ、欲《ほし》いなあ」とは思ったが、価《あたい》を訊《き》くと二円五十銭|也《なり》。無論、わたしの懐中《ふところ》にはない。しかも私は書物を買うことが好《すき》で、「お前は役にも立たぬ書物を無闇《むやみ》に買うので困る」と、毎々両親から叱られている矢先である。この際、五十銭か六十銭ならば知らず、二円五十銭の書物を買って下さいなどといい出しても、お小言《こごと》を頂戴して空しく引退《ひきさが》るに決っている。何とか好《いい》智慧《ちえ》はないか知らぬと帰る途次《みちみち》も色々に頭脳《あたま》を悩ました末に、父に対《むか》ってこういう嘘を吐《つ》いた。
学校では今月から会話の稽古《けいこ》が始まった。英語の書物を読むには英和の字書で済むが、英語の会話を学ぶには和英の字書がなくてはならぬ。就てはヘボン先生の和英字書を買ってもらいたい。殊《こと》に会話受持のチャペルという教師は、非常に点数の辛《から》い人であるから、会話の成績が悪いとあるいは落第するかも知れぬと実事《まこと》虚事《そらごと》打混《うちま》ぜて哀訴嘆願に及ぶと、案じるよりも産むが易《やす》く、ヘボンの字書なら
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