で、主人は六年ほど前に死にまして、今では後家の女あるじで、小僧ひとりと女中一人、小体《こてい》に暮らしてはいますけれど、ほかに家作《かさく》なども持っていて、なかなか内福だということです。ところが、お貞さんというひとり娘……ことし十八で、わたしの家《うち》の娘とも子供のときからの遊び友達で、容貌《きりょう》も悪くなし、人柄も悪くない娘なのですが、半年ほど前にもこんなことがありました。
 なんでも正月の暗い晩でしたが、やはり夜ふけに隣りの戸を叩く音がきこえる、わたしは眼ざといもんですから、何事かと思って起きて出ると、侍らしい人が隣りのおかみさんを呼出して何か話しているようでしたが、やがてそのまま立去ってしまったので、わたしもそのままに寝てしまいました。すると、あくる日になって、となりのお貞さんが家《うち》の娘にこんなことを話したそうです。わたしはゆうべぐらい怖かったことはない。なんでも暗いお堀端のようなところを歩いていると、ひとりのお侍が出て来て、いきなり刀をぬいて斬りつけようとする。逃げても、逃げても、追っかけてくる。それでも一生懸命に家まで逃げて帰って、表口から転げるように駈け込んで
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