。紳士はもう六十に近い人であろう、容貌といい、服装といい、いかにも代表的のイングリッシュ・ゼントルマンらしい風采の人物で、叮嚀に会釈して我々の向うに席を占めた。O君があわてて喫いかけた巻莨の火を消そうとすると、紳士は笑いながら徐かに云った。
『どうぞお構いなく……。わたくしもすいます。』
 七時五十五分に出る筈の列車がなかなか出ない、一行三十余人はことごとく乗り込んでしまっても、列車は動かない。八時を過ぎて、ようように汽笛は鳴り出したが、速力は頗る鈍い。一時間ほども走ると、途中で不意に停車する。それから又少し動き出したかと思うと、十分ぐらいで又停車する。英国紳士はクックの案内者をつかまえて其理由を質問していたが、案内者も困った顔をして笑っているばかりで、詳しい説明をあたえない。斯ういう始末で、一進一止、捗らないことおびただしく、われわれももううんざりして来た。きょうの一行に加わって来た米国の兵士五六人は、列車が停止するたびに車外に飛び出して路ばたの草花などを折っている。気の早い連中には実際我慢が出来ないであろうと思い遣られた。
 窓をあけて見渡すと、何というところか知らないが、青い水が
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