ったそうです。それが連隊にきこえて、大勢の兵士が捜索に来たんですが、なんだか怖くなって、奥の奥まで進んで行くことが出来ない。二人の兵士は結局どうしてしまったのか判らないということです。」
「不思議な話ですね。」と、僕も息をつめて聞いていた。それと同時に、アンの運命もたいてい想像されるように思われた。
「ここまでお話しすれば大抵お判りでしょう。」と、早瀬君も言った。「アンは金に困った苦しまぎれに、自分から思い立ったのか、あるいは女にそそのかされたのか、いずれにしても朱丹の墓からあの三十万弗を盗み出そうとして、十一月の初めごろに、女と一緒に森林の奥へ忍んで行ったんです。朱丹の霊魂がその財《たから》を守っている――その伝説をアンは無論に知っていたでしょうし、またそれを信じていたでしょうが、恋に眼のくらんでいる彼はその怖ろしいのも忘れてしまって、いや、怖ろしいと思いながらも、金がほしさに最後の決心を固めたのでしょう。女は危ぶんでしきりに止めたのを、アンは肯かずに断行したんだそうですが、それはどうだか判りません。
 ともかくも女の言うところによると、二人は墓の入口まで行って、アンがまず忍び込んだ。女はしばらく入口に待っていたんですが、男の身の上がなんだか不安に感じられるのと、自分も一種の好奇心に駆られたのとで、あとからそっと忍び込んだが、やはり地の底へ行き着いたかと思うころに、急に総身《そうみ》がぞっ[#「ぞっ」に傍点]として思わずそこに立ちすくんでしまったが、男はいつまで待っていても戻って来ない。呼んでみても返事がない。いよいよ怖ろしくなって逃げ出して来たが、アンはどうしても戻らない。
 日の暮れるころから夜のあけるまで墓の前に突っ立っていたが、アンはやはり出て来ないので、女は泣きながら人家のある方へ引っ返して来て、そのことを原住民に訴えたが、原住民は恐れて誰も捜索に行こうともしないので、女はますます失望して、日本人の経営しているゴム園まで駈け付けて、どうか男を救い出してくれと哀願したので、ここに初めて大騒ぎになって、白人と日本人とシナ人が大勢駈け出して行ったものの、さて思い切って墓の奥まで踏み込もうという勇者もない。警察でもどうすることも出来ない。結局アンはかの兵士たちとおなじように、朱丹の墳墓の中に封じこめられてしまったんです。あるいは奥の方に抜け道があるのではないかという伝説がありますが、以前の兵士も今度のアンもことごとくその姿をあらわさないのを見ると、やはりかの朱丹が予言した通り、再び世には出られないのかも知れませんよ。」
「女はそれからどうしました。」
「どうしたかよく判りません。なんでもシンガポールを立去って、ホンコンの方へ行ったとかいうことでした。なにしろアンは可哀そうなことをしました。彼も恋に囚われなければ、今夜もこの舞台に美しい声を聞かせることが出来たんでしょうに……。」
「その墓へ入った者はみんな窒息するんでしょうか。」と、僕は考えながら言った。
「さあ。」と、早瀬君も首をかしげていた。「わたしにも確かな判断は付きませんが、ここらにいる白人のあいだでは、もっぱらこんな説が伝えられています。柔仏の王は自分の遺産を守るために、腹心の家来どもに命令して、無数の毒蛇を墓の底に放して置いたのだろうというんです。して見れば、そこに棲んでいる毒蛇の子孫の絶えないあいだは、朱丹の遺産がつつがなく保護されているわけです。実際、印度やここらの地方には怖ろしい毒蛇が棲んでいますからね。」
 言ううちに、大粒の雨が二人の帽子の上にばらばらと降って来た。
「ああ、シャワーです。強く降らないうちに逃げましょう。」
 早瀬君は先に立って逃げ出した。僕も帽子をおさえながら続いて駈け出した。



底本:「鷲」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年8月20日初版1刷発行
初出:「近代異妖編」春陽堂
   1926(大正15)年10月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:松永正敏
2006年10月31日作成
2009年7月31日修正
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