マレー俳優の死
岡本綺堂
−−
【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)菜《な》のひたしもの
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)先月|帰朝《きちょう》した
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)ぞっ[#「ぞっ」に傍点]として
−−
「海老の天ぷら、菜《な》のひたしもの、蠣《かき》鍋、奴《やっこ》豆腐、えびと鞘豌豆《さやえんどう》の茶碗もり――こういう料理をテーブルの上にならべられた時には、僕もまったく故郷へ帰ったような心持がしましたよ。」と、N君は笑いながら話し出した。
N君は南洋貿易の用件を帯びて、シンガポールからスマトラの方面を一周して、半年ぶりで先月|帰朝《きちょう》したのである。その旅行中に何かおもしろい話はなかったかという問いに対して、彼はまずシンガポールの日本料理店における食物の話から説き出したのであった。シンガポールには日本人経営のホテルもある。料理店もある。そうして日本内地にある時とおなじような料理を食わせると、N君はまずその献立《こんだて》をならべておいて、それから本文の一種奇怪な物語に取りかかった。
料理のことは勿論この話に直接の関係はないのだが、英領植民地のシンガポールという土地はまずこんなところであるということを説明するために、ちょいと献立《こんだて》書きをならべただけのことだ。その料理店で、久しぶりで日本らしい飯を食って――なにしろ僕はマレー半島を三、四ヵ月もめぐり歩いていたあげくだから、日本の飯も恋しくなるさ。まったくその時はうまかったよ。
それから夜の町をぶらぶら見物に出ていくと、町には芝居が興行中であるらしく、そこらに辻《つじ》びらのようなものを見受けたので、僕も一種の好奇心に釣られて、その劇場のある方角へ足をむけた。実をいうと、僕はあまり芝居などには興味をもっていないのだが、まあどんなものか、一度は話の種に見物しておこうぐらいの料簡《りょうけん》で、ともかくも劇場の前に立って見ると、その前には幾枚も長い椰子《やし》の葉が立ててある。日本の劇場の幟《のぼり》の格だね。なるほどこれは南洋らしいと思いながら、入場料は幾らだと訊《き》くと一等席が一|弗《ドル》だという。その入場券を買ってはいると、建物はあまり立派でないが、原住民七分、外国人三分という割合で殆んどいっぱいの大入りであった。
英文の印刷されたプログラムによって、その狂言がアラビアン・ナイトであることを知ったが、登場俳優はみなスマトラの原住民だそうで、なにを言っているのか僕らにはちっとも判らなかった。
幕のあいだには原住民の少年がアイスクリームやレモン水などを売りにくるので、僕もレモン水を一杯のんで、夜の暑さを凌《しの》ぎながら二幕ばかりは神妙に見物していたが、話の種にするならもうこれで十分だと思ったので、僕もそろそろ帰ろうとしていると、一人の男がだしぬけに椅子のうしろから僕の肩を叩いた。
「あなたも御見物ですか。」
ふり返って見ると、それはこの土地で日本人が経営している東洋商会の早瀬君であった。早瀬君はまだ二十五、六の元気のいい青年で、ここへ来てから僕も二、三度逢ったことがある。彼はもうこの土地に三年も来ているので、マレー語もひと通りは判るのであるが、それでも妙に節をつけて歌うような芝居の台詞《せりふ》は碌《ろく》に判らないとのことであった。
「あなたはしまいまで御見物ですか。」と、早瀬君はまた訊いた。
「いや、どうで判らないんですから、もういい加減にして帰ろうかと思います。」と、僕は顔の汗を拭きながら答えた。
「なにしろ暑いんですからね。シンガポールというところは芝居の土地じゃありませんよ。わたし達もほかに遊びどころがないから、まあ時間つぶしに出かけて来るんです。じゃあ、どうです、表へ出て涼みながら散歩しようじゃありませんか。」
僕もすぐに同意して表へ出ると、二月下旬の夜の空には赤い星が一面に光っていた。これから三月四月の頃がシンガポールでは最も暑い時季であると、早瀬君はあるきながら説明してくれた。
「土地の人は暑いのに馴《な》れているせいですか、芝居もなかなか繁昌しますね。」と、僕はうしろを振り返りながら言った。
「ええ、今度の興行は外《はず》れるだろうと言っていたんですが、案外に景気がいいようです。」と、早瀬君は言った。「なにしろ、一座の人気者がひとり減ったもんですからね。」
「死んだのですか。」
「まあ、そうでしょうね。いや、確かなことは誰にも判らないんですが、まあ死んだというのが本当でしょうね。御承知の通り、あの芝居はマレー俳優の一座で、一年に三、四回ぐらいはここへ廻ってくるんです。その一座の中にアントワーリース――原住民の名は言いにくいから、簡単にアンといっておきます。――そのアンというのはまだ十九か二十歳《はたち》で、原住民には珍らしい色白の綺麗な俳優で、なんでも本当の原住民ではない、原住民とイタリアとの混血児だとかいう噂《うわさ》でしたが、なにしろ声もいい、顔も美しいというので、それが一座の花形で、原住民はもちろん、外国人のあいだにも非常に評判がよかったのです。ところが今度の興行にはアンの姿が舞台に見えないので、失望する者もあり、不思議に思う者もあって、いろいろ詮議《せんぎ》してみると、アンは行くえ不明になってしまったということが確かめられたんです。では、どうして行くえ不明になったかというと、それにはまた不思議な話があるんです。」
若い美しい俳優の死――それが僕の好奇心をまたそそって、熱心に耳を傾けさせた。早瀬君は人通りの少ない海岸通りの方へ足を向けながら話しつづけた。
「アンは去年の三月ごろここへ廻って来たときに、或る白人の女と親しくなったんです。その女はスペイン人で、あまり評判のよくない、一種の高等淫売でもしているような噂のある女でしたが、年は二十七、八で容貌《きりょう》はなかなかいい。それがひどくアンに惚れ込んで、どうして近付いたか知らないが、とうとう二人のあいだには恋愛関係が結び付けられてしまったんです。さあ、そうすると、両方とも夢中になってしまって、ことにアンは、年上でこそあれ白人の美しい女と恋したので、ほとんど盲目的にのぼせあがって、いくらか持っていた貯金もみんな使ってしまう、女の方でも腕環や指環を売り飛ばして逢曳きの費用を作るという始末で、男も女もしまいには裸になってしまったんです。
一座がここの興行を終って、半島の各地を打廻っているあいだも、女はアンのあとをどこまでも追って、どうしても離れようとしない。一座の者も心配して、アンに意見もしたそうですが、年うえ女に執念ぶかく魅《み》こまれたアンは、誰がなんと言っても思い切ろうとはしない。それから五月ごろに再びシンガポールに来て、さらに地方巡業に出て、九月ごろにまた来て、また地方巡業に出る。それを繰返している間も、女はいつでも影のようにアンに付きまとっていて、二人の恋はいよいよ熱烈の度をますばかりで、周囲の者も手のつけようがなかったそうです。いくら人気者だの花形だのといっても、アンはたかがスマトラの原住民俳優ですから、その取り前も知れたものです。それが白人の女をかかえて歩くのですから、とても舞台で稼ぐだけでは足りるはずがありません。一座の者にはもちろん、世間にもだんだんに不義理の借金もかさんで来て、もう二進《にっち》も三進《さっち》も行かなくなったんです。」
言いかけて、早瀬君は突然に僕に訊いた。
「あなたはこのシンガポールの歴史をご存じですか。」
僕もあまりくわしいことは知らない。しかしこの土地はその昔、原住民の酋長《しゅうちょう》によって支配せられ、シナの明朝《みんちょう》に封ぜられて王となって、爾来《じらい》引きつづいて燕京《えんけい》に入貢《にゅうこう》していたが、のちにシャムに併合せられた。それをまた、原住民の柔仏族《じゅうぶつぞく》の酋長が回復して、しばらくこの柔仏族によって統治されているうちに、千八百十九年に英国東印度会社から派遣されたトーマス・スタムフォード・ラッフルスがここを将来有望の地と認めて、柔仏の王と約束して一時金六十万弗と別に年金二万四千弗ずつを納めることにして、遂に英国の国旗のもとに置いたのである。これだけのことは郵船会社の案内記にも書いてあるので、僕はその受け売りをして聞かせると、早瀬君はうなずいた。
「そうです、そうです。わたしもそれ以上のことはよく知りませんが、今もあなたが仰しゃった柔仏の王――朱丹というそうです。――それがこの事件に関係があるんです。もちろん、ラッフルスがこの土地を買収したのは、今から百年ほどの昔で、その当時の朱丹が生きているはずはないんですが、その魂はまだ生きていたとでも言いましょうか。なにしろ、アンが行くえ不明になったのは、その朱丹の墓に関係があるんです。」
「墓をあばきに行ったんじゃありませんか。」と、僕は中途から喙《くち》をいれた。
「まったくその通りです。アンがなぜそんなことをしたかというと、ここらの原住民の間にはこういう伝説が残っているんです。この土地を英国人に売り渡した柔仏の朱丹は、ラッフルスから受取った六十万弗の中から二十万弗を同種族のものに分配して、残る十万弗で自分の墳墓《ふんぼ》を作った。自分は英国から二万四千弗の年金を受けているので、それで生活に不足はない。差引き三十万弗だけは自分の死ぬまで手を着けずに大事にしまっておいて、いよいよ死ぬという時に、堅固な鉄の箱の底にその三十万弗を入れて自分の墳墓の奥に葬らせた。この種族の習いとはいいながら生前に十万弗も費《ついや》して広大な墳墓を作らせておいたというのも、その三十万弗の金を自分の屍《しかばね》と一緒に永久に保護しておこうという考えであったらしく、その墓は向う岸のジョホール州の奥の方にあるそうです。
わたしは一度も行って見たことはありませんが、熱帯植物の大きい森林の奥にあって、案内を知っている原住民ですらもめったに近寄ることの出来ないところだといいます。まだそればかりでなく、朱丹はその臨終の際にこういうことを言い残したと伝えられています。――おれの肉体は滅びても霊魂は決して亡びない。おれの霊魂はいつまでも自分の財《たから》を守っている。万一おれの墳墓をあばこうとする者があればたちまちに生命をうしなって再び世に帰ることは出来ないと思え。――この遺言に恐れを懐《いだ》いて、見す見すそこに三十万弗の金が埋められてあるとは知りながら、欲のふかい原住民も迂濶《うかつ》に近寄ることが出来ないで、今日《こんにち》までその墳墓は何者にも犯されずに保存されているのです。
なんでも七、八年前にここに駐屯している英国の兵士たちの間にその話がはじまって、慾得の問題はともかくも、一種の冒険的の興味から三人の兵士がその森林の奥へ踏み込んで行くと、果たしてそこに朱丹の墳墓が見いだされた。入口にはようよう人間のくぐれるくらいの小さい穴があるので、三人は犬のようにその穴からはいって行くと、路はだんだんに広くなると同時に、だんだんに地の底へ降りて行くように出来ていて、およそ五十尺ほども降りたかと思うころに初めて平地に行き着いたといいます。
あたりはもちろん真っ暗で、手さぐりで辿《たど》って行かなければならない。ここまで来ると、一人の兵士は、急になんだか怖ろしくなって、もうここらで引っ返そうと言い出したが、他の二人はなかなか肯《き》かない。結局その一人が立ちすくんでいるあいだに、二人は探りながら奥の方へ進んで行った。それがいつまで待っても帰って来ないので、一人はいよいよ不安になって、大きい声で呼んでみたが、その声は暗いなかで反響するばかりで二人の返事はきこえない。言い知れない恐怖に襲われて、一人は他の二人の運命を見定める勇気もなしに、早々に元来た路をはいあがって、初めて墓の外の明るい所へ出たが、ふたりはやはり戻って来ないので、とうとう堪まらなくなって森の外まで逃げ出してしま
次へ
全2ページ中1ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
岡本 綺堂 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング