いいながら生前に十万弗も費《ついや》して広大な墳墓を作らせておいたというのも、その三十万弗の金を自分の屍《しかばね》と一緒に永久に保護しておこうという考えであったらしく、その墓は向う岸のジョホール州の奥の方にあるそうです。
 わたしは一度も行って見たことはありませんが、熱帯植物の大きい森林の奥にあって、案内を知っている原住民ですらもめったに近寄ることの出来ないところだといいます。まだそればかりでなく、朱丹はその臨終の際にこういうことを言い残したと伝えられています。――おれの肉体は滅びても霊魂は決して亡びない。おれの霊魂はいつまでも自分の財《たから》を守っている。万一おれの墳墓をあばこうとする者があればたちまちに生命をうしなって再び世に帰ることは出来ないと思え。――この遺言に恐れを懐《いだ》いて、見す見すそこに三十万弗の金が埋められてあるとは知りながら、欲のふかい原住民も迂濶《うかつ》に近寄ることが出来ないで、今日《こんにち》までその墳墓は何者にも犯されずに保存されているのです。
 なんでも七、八年前にここに駐屯している英国の兵士たちの間にその話がはじまって、慾得の問題はともかくも、一種の冒険的の興味から三人の兵士がその森林の奥へ踏み込んで行くと、果たしてそこに朱丹の墳墓が見いだされた。入口にはようよう人間のくぐれるくらいの小さい穴があるので、三人は犬のようにその穴からはいって行くと、路はだんだんに広くなると同時に、だんだんに地の底へ降りて行くように出来ていて、およそ五十尺ほども降りたかと思うころに初めて平地に行き着いたといいます。
 あたりはもちろん真っ暗で、手さぐりで辿《たど》って行かなければならない。ここまで来ると、一人の兵士は、急になんだか怖ろしくなって、もうここらで引っ返そうと言い出したが、他の二人はなかなか肯《き》かない。結局その一人が立ちすくんでいるあいだに、二人は探りながら奥の方へ進んで行った。それがいつまで待っても帰って来ないので、一人はいよいよ不安になって、大きい声で呼んでみたが、その声は暗いなかで反響するばかりで二人の返事はきこえない。言い知れない恐怖に襲われて、一人は他の二人の運命を見定める勇気もなしに、早々に元来た路をはいあがって、初めて墓の外の明るい所へ出たが、ふたりはやはり戻って来ないので、とうとう堪まらなくなって森の外まで逃げ出してしまったそうです。それが連隊にきこえて、大勢の兵士が捜索に来たんですが、なんだか怖くなって、奥の奥まで進んで行くことが出来ない。二人の兵士は結局どうしてしまったのか判らないということです。」
「不思議な話ですね。」と、僕も息をつめて聞いていた。それと同時に、アンの運命もたいてい想像されるように思われた。
「ここまでお話しすれば大抵お判りでしょう。」と、早瀬君も言った。「アンは金に困った苦しまぎれに、自分から思い立ったのか、あるいは女にそそのかされたのか、いずれにしても朱丹の墓からあの三十万弗を盗み出そうとして、十一月の初めごろに、女と一緒に森林の奥へ忍んで行ったんです。朱丹の霊魂がその財《たから》を守っている――その伝説をアンは無論に知っていたでしょうし、またそれを信じていたでしょうが、恋に眼のくらんでいる彼はその怖ろしいのも忘れてしまって、いや、怖ろしいと思いながらも、金がほしさに最後の決心を固めたのでしょう。女は危ぶんでしきりに止めたのを、アンは肯かずに断行したんだそうですが、それはどうだか判りません。
 ともかくも女の言うところによると、二人は墓の入口まで行って、アンがまず忍び込んだ。女はしばらく入口に待っていたんですが、男の身の上がなんだか不安に感じられるのと、自分も一種の好奇心に駆られたのとで、あとからそっと忍び込んだが、やはり地の底へ行き着いたかと思うころに、急に総身《そうみ》がぞっ[#「ぞっ」に傍点]として思わずそこに立ちすくんでしまったが、男はいつまで待っていても戻って来ない。呼んでみても返事がない。いよいよ怖ろしくなって逃げ出して来たが、アンはどうしても戻らない。
 日の暮れるころから夜のあけるまで墓の前に突っ立っていたが、アンはやはり出て来ないので、女は泣きながら人家のある方へ引っ返して来て、そのことを原住民に訴えたが、原住民は恐れて誰も捜索に行こうともしないので、女はますます失望して、日本人の経営しているゴム園まで駈け付けて、どうか男を救い出してくれと哀願したので、ここに初めて大騒ぎになって、白人と日本人とシナ人が大勢駈け出して行ったものの、さて思い切って墓の奥まで踏み込もうという勇者もない。警察でもどうすることも出来ない。結局アンはかの兵士たちとおなじように、朱丹の墳墓の中に封じこめられてしまったんです。あるいは奥の方に抜け道があるのではないかと
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