。それが白人の女をかかえて歩くのですから、とても舞台で稼ぐだけでは足りるはずがありません。一座の者にはもちろん、世間にもだんだんに不義理の借金もかさんで来て、もう二進《にっち》も三進《さっち》も行かなくなったんです。」
 言いかけて、早瀬君は突然に僕に訊いた。
「あなたはこのシンガポールの歴史をご存じですか。」
 僕もあまりくわしいことは知らない。しかしこの土地はその昔、原住民の酋長《しゅうちょう》によって支配せられ、シナの明朝《みんちょう》に封ぜられて王となって、爾来《じらい》引きつづいて燕京《えんけい》に入貢《にゅうこう》していたが、のちにシャムに併合せられた。それをまた、原住民の柔仏族《じゅうぶつぞく》の酋長が回復して、しばらくこの柔仏族によって統治されているうちに、千八百十九年に英国東印度会社から派遣されたトーマス・スタムフォード・ラッフルスがここを将来有望の地と認めて、柔仏の王と約束して一時金六十万弗と別に年金二万四千弗ずつを納めることにして、遂に英国の国旗のもとに置いたのである。これだけのことは郵船会社の案内記にも書いてあるので、僕はその受け売りをして聞かせると、早瀬君はうなずいた。
「そうです、そうです。わたしもそれ以上のことはよく知りませんが、今もあなたが仰しゃった柔仏の王――朱丹というそうです。――それがこの事件に関係があるんです。もちろん、ラッフルスがこの土地を買収したのは、今から百年ほどの昔で、その当時の朱丹が生きているはずはないんですが、その魂はまだ生きていたとでも言いましょうか。なにしろ、アンが行くえ不明になったのは、その朱丹の墓に関係があるんです。」
「墓をあばきに行ったんじゃありませんか。」と、僕は中途から喙《くち》をいれた。
「まったくその通りです。アンがなぜそんなことをしたかというと、ここらの原住民の間にはこういう伝説が残っているんです。この土地を英国人に売り渡した柔仏の朱丹は、ラッフルスから受取った六十万弗の中から二十万弗を同種族のものに分配して、残る十万弗で自分の墳墓《ふんぼ》を作った。自分は英国から二万四千弗の年金を受けているので、それで生活に不足はない。差引き三十万弗だけは自分の死ぬまで手を着けずに大事にしまっておいて、いよいよ死ぬという時に、堅固な鉄の箱の底にその三十万弗を入れて自分の墳墓の奥に葬らせた。この種族の習いとは
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