大入りであった。
英文の印刷されたプログラムによって、その狂言がアラビアン・ナイトであることを知ったが、登場俳優はみなスマトラの原住民だそうで、なにを言っているのか僕らにはちっとも判らなかった。
幕のあいだには原住民の少年がアイスクリームやレモン水などを売りにくるので、僕もレモン水を一杯のんで、夜の暑さを凌《しの》ぎながら二幕ばかりは神妙に見物していたが、話の種にするならもうこれで十分だと思ったので、僕もそろそろ帰ろうとしていると、一人の男がだしぬけに椅子のうしろから僕の肩を叩いた。
「あなたも御見物ですか。」
ふり返って見ると、それはこの土地で日本人が経営している東洋商会の早瀬君であった。早瀬君はまだ二十五、六の元気のいい青年で、ここへ来てから僕も二、三度逢ったことがある。彼はもうこの土地に三年も来ているので、マレー語もひと通りは判るのであるが、それでも妙に節をつけて歌うような芝居の台詞《せりふ》は碌《ろく》に判らないとのことであった。
「あなたはしまいまで御見物ですか。」と、早瀬君はまた訊いた。
「いや、どうで判らないんですから、もういい加減にして帰ろうかと思います。」と、僕は顔の汗を拭きながら答えた。
「なにしろ暑いんですからね。シンガポールというところは芝居の土地じゃありませんよ。わたし達もほかに遊びどころがないから、まあ時間つぶしに出かけて来るんです。じゃあ、どうです、表へ出て涼みながら散歩しようじゃありませんか。」
僕もすぐに同意して表へ出ると、二月下旬の夜の空には赤い星が一面に光っていた。これから三月四月の頃がシンガポールでは最も暑い時季であると、早瀬君はあるきながら説明してくれた。
「土地の人は暑いのに馴《な》れているせいですか、芝居もなかなか繁昌しますね。」と、僕はうしろを振り返りながら言った。
「ええ、今度の興行は外《はず》れるだろうと言っていたんですが、案外に景気がいいようです。」と、早瀬君は言った。「なにしろ、一座の人気者がひとり減ったもんですからね。」
「死んだのですか。」
「まあ、そうでしょうね。いや、確かなことは誰にも判らないんですが、まあ死んだというのが本当でしょうね。御承知の通り、あの芝居はマレー俳優の一座で、一年に三、四回ぐらいはここへ廻ってくるんです。その一座の中にアントワーリース――原住民の名は言いにくいから、簡単にア
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