妹《きょうだい》はふたたび元のさびしい孤立のすがたに立ちかえった。
それでも或る世話好きの人がお玉さんに嫁入りさきを媒妁しようと、わざわざ親切に相談にゆくとお玉さんは切り口上で断わった。
「どうで異人の妾だなんていわれた者を、どこでも貰って下さる方はありますまい。」
その人も取り付く島がないので引きさがった。これに懲りて誰もその後は縁談などを言い込む人はなかった。
詳しく調べたならば、その当時まだほかにもいろいろの出来事があったかも知れないが、学校時代のわたしはこうした問題に就いてあまり多くの興味をもっていなかったので、別に穿索もしなかった。むかしのお玉さん一家に関して、わたしの幼い記憶に残っているのは先ずこのくらいのことに過ぎなかった。
こんなことをそれからそれへと手繰り出して考えながら、わたしはいつの間にか流し場へ出て、半分は浮わの空で顔や手足を洗っていた。石鹸の泡が眼にしみたのにおどろいて、わたしは水で顔を洗った。それから風呂へはいって、再び柚湯に浸っていると、薬局生もあとからはいって来た。そうして、又こんなことを話しかけた。
「あの徳さんという人は、まあ行き倒れのように死んだんですね。」
「行き倒れ……。」と、私は又おどろいた。
「病気が重くなっても、相変わらず自分の方から診察を受けにかよって来ていたんです。そこで、けさも家を出て、薬壜をさげてよろよろと歩いてくると、床屋の角の電信柱の前でもう歩けなくなったんでしょう、電信柱に倚《よ》り掛かってしばらく休んでいたかと思ううちに、急にぐたぐたと頽《くず》れるように倒れてしまったんです。床屋でもおどろいて、すぐに店へかかえ込んで、それから私の家《うち》へ知らせて来たんですが、先生の行った頃にはもういけなくなっていたんです。」
こんな話を聴かされて、私はいよいよ情けなくなって来た。折角の柚湯にも好い心持に浸っていることは出来なくなった。私はからだをなま拭きにして早々に揚がってしまった。
二
家へ帰ってからも、徳さんとお玉さんとのことが私の頭にまつわって離れなかった。殊にきょうの柚湯については一つの思い出があった。
わたしは肩揚げが取れてから下町《したまち》へ出ていて、山の手の実家へは七、八年帰らなかった。それが或る都合で再び帰って住むようになった時には、私ももう昔の子供ではなかった。十二
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