しずかに語り出した。

 僕が郷里へ帰り着いたのは五月の十九日で、あいにくに毎日|小雨《こさめ》がけぶるように降りつづけていた。おやじの法事は二十一日に執行されたが、ここらは万事が旧式によるのだからなかなか面倒だ。ことに僕の家などは土地でも旧家の部であるからいよいよ小うるさい。勿論、僕はなんの手伝いをするわけでもなく、羽織袴でただうろうろしているばかりであったが、それでもいい加減に疲れてしまった。
 式がすんで、それから料理が出る。なにしろ四五十人のお客様というのであるから随分忙がしい。おまけにこういう時にうんと飲もうと手ぐすねを引いている連中もあるのだから、いよいよ遣り切れない。それでも後日《ごにち》の悪口の種を播《ま》かないように、兄夫婦は前からかなり神経を痛めていろいろの手配をして置いただけに、万事がとどこおりなく進行して、お客様いずれも満足であるらしかった。その席上でこんな話が出た。
「あの小袋ヶ岡の一件はほんとうかね。」
 この質問を提出したのは町に住んでいる肥料商の山木という五十あまりの老人で、その隣りに坐っている井沢という同年配の老人は首をかしげながら答えた。
「さあ、私もこのあいだからそんな話を聞いているが、ほんとうかしら。」
「ほんとうだそうですよ。」と、またその隣りにいる四十ぐらいの男が言った。「現にその啼声《なきごえ》を聞いたという者が幾人もありますからね。」
「蛙じゃないのかね。」と、山木は言った。「あの辺には大きい蛙がたくさんいるから。」
「いや、その蛙はこの頃ちっとも鳴かなくなったそうですよ。」と、第三の男は説明した。「そうして、妙な啼声がきこえる。新聞にも出ているから嘘じゃないでしょう。」
 こんな対話が耳にはいったので、接待に出ている僕も口を出した。
「それは何ですか、どういう事件なのですか。」
「いや、東京の人に話すと笑われるかも知れない。」と、山木はさかずきをおいて、自分がまず笑い出した。
 山木はまだ半信半疑であるらしいが、第三の男――僕はもうその人の顔を忘れていたが、あとで聞くと、それは町で糸屋をしている成田という人であった――は、大いにそれを信じているらしい。彼はいわゆる東京の人に対して、雄弁にそれを説明した。
 この村はずれに小袋ヶ岡というのがある。僕は故郷の歴史をよく知らないが、かの元亀《げんき》天正《てんしょう》の時代
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