かりました。その出家がわたしの顔をつくづく見て、おまえも出家になるべき相《そう》がある。いや、どうしても出家にならなければならぬ運命があらわれている。わたしと一緒に鎌倉へ行って、仏門の修業をやる気はないかと言われたのでござります。わたしはまだ子供で世間の恋しい時でもあり、かねて名を聞いている鎌倉というところへ行ってみたさに、その出家に連れて行ってもらうことにしました。親たちもまたこんな山奥に一生を送らせるよりも、京鎌倉へ出してやった方が当人の行く末のためでもあろう。たとい氏素姓《うじすじょう》のない者でも、修業次第であっぱれな名僧智識にならぬとも限らぬと、そんな心から承知してわたしを手離すことになったのでした。あとで知ったのですが、その出家は鎌倉でも五山《ござん》の一つという名高い寺のお住持で、京登りをした帰り路に、山越えをして北陸道を下らるる途中であったのです。お師匠さま――わたしはそのあくる日からお弟子になったのです――は私をつれて、越前から加賀、能登、越中、越後を経て、上州路からお江戸へ出まして……。いや、こんなことはくだくだしく申上げるまでもありませぬ。わたしはその時に初めてお江戸を見物しまして、七日あまり逗留の後に鎌倉へ帰り着きました。それからその寺で足掛け十六年、わたしが二十六の年まで修業を積みまして、生来|鈍根《どんこん》の人間もまず一人並の出家になり済ましたのでござります。」
生来鈍根と卑下しているが、彼の人柄といい物の言い振りといい、決して愚かな人物とはみえない。しかも鎌倉の名刹《めいさつ》で十六年の修業を積みながら、たとい故郷とはいえ、若い身空でこんな山奥に引籠っているのは、何かの子細《しさい》がなくてはならないと叔父は想像した。
「それで、唯今ではここにお住居でございますか。再び鎌倉へお戻りにならないのでございますか。」
「当分は戻られますまい。」と、僧は答えた。「ここへ帰って来て丸三年になります。これから三年、五年、十年……。あるいは一生……。鎌倉はおろか、他国の土を踏むことも出来ぬかも知れませぬ。」
「御両親は……。」と、叔父は訊いた。
「父も母もこの世にはおりませぬ。ほかに一人の妹がありましたが、これも世を去りました。」
と、僧は暗然として仏壇をみかえった。
「どなたもお留守のあいだに、お亡くなりになったのでございますか。」
「そうで
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