髪を畳に摺付けて潜然《さめざめ》と泣く。その姿の悲惨《いじら》しいような、怖しいような、何とも云えない心持がして、思わずハッと眼を閉じると、燈火《あかり》は消える、女の姿も消える。この途端に抱寝していた小児《こども》が俄に魘《おび》えて、アレ住《すみ》が来た、怖いよゥと火の付くように泣立てる。ようよう欺し賺《すか》してその晩は兎《と》もかく寝付きましたが、その翌《あく》る晩も右の散し髪の湿しおれた女が枕辺に這い寄って、御免下さい御免下さいと悲しそうに訴える、その都度に小児までが夢に魘《おそ》われて、アレ住が来た、ソレ住が来た、怖い怖いと泣いて騒ぐ、妾は心の迷いという事もありましょうが、何にも知らぬ三歳《みつ》や四歳《よつ》の小児が、何を怖がって何を泣くか一向解りませぬ、その上|何《ど》うして住という名を識って居りますか、それも解りませぬ。それが一晩や二晩でなく三晩も四晩も、昨夜《ゆうべ》でモウ十日も続くのでございますから、とても我慢も辛抱もできません。その蒼ざめた顔その悲しそうな声、今も眼に着いて耳について、思い出しても悚然《ぞっ》とします――と声|顫《ふる》わせて物語る。
 兄は武士
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