したが》って他から縁付いた江原の妹やましてその小児などが夢にも知ろう筈はなく、又曾てそんな事があったろうと偶然に思い付く道理もない。知っていればこそ心の迷いも起れ、知らぬ者の眼に怪しい影の映ろう筈がなく、ましてその小児がお住の名を知って居ろう筈がない、シテ見れば正しくお住その者の幽魂が迷って出たに相違ない。数うれば当年《ことし》は恰もその五十回忌に相当すると、隠居は懺愧と恐怖に顔色を変えて了った。
隠居一人が胸に秘めて、五十年来誰にも洩さなかった秘密が、ここに初めて露見したので、孫の隼人を初め江原も縡《こと》の不思議に驚いて、この上は唯|一図《いちず》に嘘だとか馬鹿馬鹿しいとか云《いい》消して了う訳には往かぬ。殊に当年が五十回忌に相当するというもいよいよ不思議と、何れも奇異の感に打れて、兎も角もそのお住の得脱《とくだつ》成仏《じょうぶつ》するように、仏事供養を営むが可かろうという事に一決して、一同その墓所へ参詣し、懇切《ねんごろ》に回向した。で、その幽魂が果して成仏したかどうか知らぬが、その後は何の不思議もなく、妹も旧の如くその邸へ戻って夫婦睦じく暮したという。
私も武士、且《かつ》は青表紙の一冊も読んだ者、世に幽霊や妖怪変化があろうとは、どうしても信じられぬが、この一条ばかりは何分にも合点が往かぬ。その亭主も知らず、まして当人は夢にも知らぬ女の姿がありありと眼に映り、しかも小児までがその名を知っていると云うのは、どういう情由《わけ》であろう。実に世には理外の理というものが有るものだと、右の江原が折々に人に語って生涯その疑惑《うたがい》が解《とけ》なかったとの事。
[#地付き](『文藝倶楽部』02[#「02」は縦中横]年4月号)
[#地付き]*不通庵〈妖怪談〉より。筆名は「狂生」使用。
底本:「文藝別冊[総特集]岡本綺堂」河出書房新社
2004(平成16)年1月30日発行
初出:「文藝倶楽部」
1902(明治35)年4月号
入力:hongming
校正:noriko saito
2004年8月10日作成
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