「虔十、貴《き》さんどごの杉|伐《き》れ。」
「何《な》してな。」
「おらの畑ぁ日かげにならな。」
 虔十はだまって下を向きました。平二の畑が日かげになると云ったって杉の影がたかで五寸もはいってはいなかったのです。おまけに杉はとにかく南から来る強い風を防いでいるのでした。
「伐れ、伐れ。伐らなぃが。」
「伐らなぃ。」虔十が顔をあげて少し怖《こわ》そうに云いました。その唇《くちびる》はいまにも泣き出しそうにひきつっていました。実にこれが虔十の一生の間のたった一つの人に対する逆らいの言《ことば》だったのです。
 ところが平二は人のいい虔十などにばかにされたと思ったので急に怒《おこ》り出して肩を張ったと思うといきなり虔十の頬《ほお》をなぐりつけました。どしりどしりとなぐりつけました。
 虔十は手を頬にあてながら黙《だま》ってなぐられていましたがとうとうまわりがみんなまっ青に見えてよろよろしてしまいました。すると平二も少し気味が悪くなったと見えて急いで腕《うで》を組んでのしりのしりと霧の中へ歩いて行ってしまいました。
 さて虔十はその秋チブスにかかって死にました。平二も丁度その十日ばかり前
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