が見えてきた。兵隊たちは心配さうにこつちの方を見てゐたのだが、思はず歓呼の声をあげ、みんな一緒に立ちあがる。そのときお宮の方からはさつきの使ひの軍師の長が一目散にかけて来た。
「あゝ、王様は、すつかりおわかりなりました。あなたのことをおききになつて、おん涙さへ浮べられ、お出《い》でをお待ちでございます。」
そこへさつきの弟子たちが、薬をもつてやつてきた。兵隊たちはよろこんで、粉をふつてはばたばた扇ぐ。そこで九万の軍隊は、もう輪廓《りんくわく》もはつきりなつた。
将軍は高く号令した。
「馬にまたがり、気をつけいつ。」
みんなが馬にまたがれば、まもなくそこらはしんとして、たつた二疋の遅れた馬が、鼻をぶるつと鳴らしただけだ。
「前へ進めつ。」太鼓も銅鑼《どら》も鳴り出して、軍は粛々行進した。
やがて九万の兵隊は、お宮の前の一里の庭に縦横《じゆうわう》ちやうど三百人、四角な陣をこしらへた。
ソン将軍は馬を降り、しづかに壇をのぼつて行つて床に額をすりつけた。王はしづかに斯《か》ういつた。
「じつに永らくご苦労だつた。これからはもうこゝに居て、大将たちの大将として、なほ忠勤をはげんでくれ。」
北守将軍ソンバーユーは涙を垂れてお答へした。
「おことばまことに畏《かしこ》くて、何とお答へいたしていゝか、とみに言葉も出《い》でませぬ。とは云へいまや私は、生きた骨ともいふやうな、役に立たずでございます。砂漠《さばく》の中に居ました間、どこから敵が見てゐるか、あなどられまいと考へて、いつでもりんと胸を張り、眼を見開いて居りましたのが、いま王様のお前に出て、おほめの詞《ことば》をいたゞきますと、俄《には》かに眼さへ見えぬやう。背骨も曲つてしまひます。何卒《なにとぞ》これでお暇を願ひ、郷里に帰りたうございます。」
「それでは誰《だれ》かおまへの代り、大将五人の名を挙げよ。」
そこでバーユー将軍は、大将四人の名をあげた。そして残りの一人の代り、リン兄弟の三人を国のお医者におねがひした。王は早速許されたので、その場でバーユー将軍は、鎧《よろひ》もぬげば兜《かぶと》もぬいで、かさかさ薄い麻を着た。そしてじぶんの生れた村のス山《ざん》の麓《ふもと》へ帰つて行つて、粟《あは》をすこうし播《ま》いたりした。それから粟の間引きもやつた。けれどもそのうち将軍は、だんだんものを食はなくなつてせつかくじぶんで播いたりした、粟も一口たべただけ、水をがぶがぶ呑《の》んでゐた。ところが秋の終りになると、水もさつぱり呑まなくなつて、ときどき空を見上げては何かしやつくりするやうなきたいな形をたびたびした。
そのうちいつか将軍は、どこにも形が見えなくなつた。そこでみんなは将軍さまは、もう仙人《せんにん》になつたと云つて、ス山の山のいたゞきへ小さなお堂をこしらへて、あの白馬《しろうま》は神馬に祭り、あかしや粟をさゝげたり、麻ののぼりをたてたりした。
けれどもこのとき国手になつた例のリンパー先生は、会ふ人ごとに斯ういつた。
「どうして、バーユー将軍が、雲だけ食つた筈《はず》はない。おれはバーユー将軍の、からだをよくみて知つてゐる。肺と胃の腑《ふ》は同じでない。きつとどこかの林の中に、お骨があるにちがひない。」なるほどさうかもしれないと思つた人もたくさんあつた。
底本:「新修宮沢賢治全集 第十三巻」筑摩書房
1980(昭和55)年3月15日初版第1刷発行
1983(昭和58)年6月30日初版第5刷発行
初出:「児童文学 第一冊」
1931(昭和6)年7月20日発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年9月4日作成
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