北守将軍と三人兄弟の医者
宮沢賢治
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(例)崖《がけ》の
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(例)二十|疋《ぴき》も
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一、三人兄弟の医者
むかしラユーといふ首都に、兄弟三人の医者がゐた。いちばん上のリンパーは、普通の人の医者だつた。その弟のリンプーは、馬や羊の医者だつた。いちばん末のリンポーは、草だの木だのの医者だつた。そして兄弟三人は、町のいちばん南にあたる、黄いろな崖《がけ》のとつぱなへ、青い瓦《わはら》の病院を、三つならべて建ててゐて、てんでに白や朱の旗を、風にぱたぱた云《い》はせてゐた。
坂のふもとで見てゐると、漆《うるし》にかぶれた坊さんや、少しびつこをひく馬や、萎《しを》れかかつた牡丹《ぼたん》の鉢《はち》を、車につけて引く園丁や、いんこを入れた鳥籠《とりかご》や、次から次とのぼつて行つて、さて坂上に行き着くと、病気の人は、左のリンパー先生へ、馬や羊や鳥類は、中のリンプー先生へ、草木をもつた人たちは、右のリンポー先生へ、三つにわかれてはひるのだつた。
さて三人は三人とも、実に医術もよくできて、また仁心《じんしん》も相当あつて、たしかにもはや名医の類であつたのだが、まだいゝ機会《をり》がなかつたために別に位もなかつたし、遠くへ名前も聞えなかつた。ところがたうとうある日のこと、ふしぎなことが起つてきた。
二、北守《ほくしゆ》将軍ソンバーユー
ある日のちやうど日の出ごろ、ラユーの町の人たちは、はるかな北の野原の方で、鳥か何かがたくさん群れて、声をそろへて鳴くやうな、をかしな音を、ときどき聴いた。はじめは誰《だれ》も気にかけず、店を掃いたりしてゐたが、朝めしすこしすぎたころ、だんだんそれが近づいて、みんな立派なチヤルメラや、ラツパの音だとわかつてくると、町ぢゆうにはかにざわざわした。その間にはぱたぱたいふ、太鼓の類の音もする。もう商人《あきうど》も職人も、仕事がすこしも手につかない。門を守つた兵隊たちは、まづ門をみなしつかりとざし、町をめぐつた壁の上には、見張りの者をならべて置いて、それからお宮へ知らせを出した。
そしてその日の午《ひる》ちかく、ひづめの音や鎧《よろひ》の気配、また号令の声もして、向ふはすつかり、この町を、囲んでしまつた模様であつた。
番兵たちや、あらゆる町の人たちが、まるでどきどきやりながら、矢を射る孔《あな》からのぞいて見た。壁の外から北の方、まるで雲霞《うんか》の軍勢だ。ひらひらひかる三角旗や、ほこがさながら林のやうだ。ことになんとも奇体なことは、兵隊たちが、みな灰いろでぼさぼさして、なんだかけむりのやうなのだ。するどい眼《め》をして、ひげが二いろまつ白な、せなかのまがつた大将が、尻尾《しつぽ》が箒《はうき》のかたちになつて、うしろにぴんとのびてゐる白馬《はくば》に乗つて先頭に立ち、大きな剣を空にあげ、声高々と歌つてゐる。
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「北守将軍ソンバーユーは
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いま塞外《さいぐわい》の砂漠《さばく》から
やつとのことで戻つてきた。
勇ましい凱旋《がいせん》だと云ひたいが
実はすつかり参つて来たのだ
とにかくあすこは寒い処《ところ》さ。
三十年といふ黄いろなむかし
おれは十万の軍勢をひきゐ
この門をくぐつて威張つて行つた。
それからどうだもう見るものは空ばかり
風は乾いて砂を吹き
雁《かり》さへ干せてたびたび落ちた
おれはその間馬でかけ通し
馬がつかれてたびたびペタンと座り
涙をためてはじつと遠くの砂を見た。
その度ごとにおれは鎧《よろひ》のかくしから
塩をすこうし取り出して
馬に嘗《な》めさせては元気をつけた。
その馬も今では三十五歳
五里かけるにも四時間かゝる
それからおれはもう七十だ。
とても帰れまいと思つてゐたが
ありがたや敵が残らず脚気《かくけ》で死んだ
今年の夏はへんに湿気が多かつたでな。
それに脚気の原因が
あんまりこつちを追ひかけて
砂を走つたためなんだ
さうしてみればどうだやつぱり凱旋だらう。
殊にも一つほめられていゝことは
十万人もでかけたものが
九万人まで戻つて来た。
死《しん》だやつらは気の毒だが
三十年の間には
たとへいくさに行かなくたつて
一割ぐらゐは死ぬんぢやないか。
そこでラユーのむかしのともよ
またこどもらよきやうだいよ
北守将軍ソンバーユーと
その軍勢が帰つたのだ
門をあけてもいゝではないか。」
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さあ城壁のこつちでは、沸《わ》きたつやうな騒動だ。うれしまぎれに泣くものや、両手をあげて走るもの、じぶんで門をあけようとして、番兵たちに叱《しか》られるもの、もちろん王のお宮へは使が急いで走つて行き、城門の扉《と》はぴしやんと開《あ》いた。おもての方の兵隊たちも、もううれしくて、馬にすがつて泣いてゐる。
顔から肩から灰いろの、北守将軍ソンバーユーは、わざとくしやくしや顔をしかめ、しづかに馬のたづなをとつて、まつすぐを向いて先登に立ち、それからラッパや太鼓の類、三角ばたのついた槍《やり》、まつ青に錆《さ》びた銅のほこ、それから白い矢をしよつた、兵隊たちが入つてくる。馬は太鼓に歩調を合せ、殊にもさきのソン将軍の白馬《しろうま》は、歩くたんびに膝《ひざ》がぎちぎち音がして、ちやうどひやうしをとるやうだ。兵隊たちは軍歌をうたふ。
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「みそかの晩とついたちは
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砂漠《さばく》に黒い月が立つ。
西と南の風の夜は
月は冬でもまつ赤だよ。
雁《がん》が高みを飛ぶときは
敵が遠くへ遁《に》げるのだ。
追はうと馬にまたがれば
にはかに雪がどしやぶりだ。」
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兵隊たちは進んで行つた。九万の兵といふものはたゞ見ただけでもぐつたりする。
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「雪の降る日はひるまでも
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そらはいちめんまつくらで
わづかに雁の行くみちが
ぼんやり白く見えるのだ。
砂がこごえて飛んできて
枯れたよもぎをひつこぬく。
抜けたよもぎは次次と
都の方へ飛んで行く。」
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みんなは、みちの両側に、垣《かき》をきづいて、ぞろつとならび、泪《なみだ》を流してこれを見た。
かくて、バーユー将軍が、三町ばかり進んで行つて、町の広場についたとき、向ふのお宮の方角から、黄いろな旗がひらひらして、誰《たれ》かこつちへやつてくる。これはたしかに知らせが行つて、王から迎ひが来たのである。
ソン将軍は馬をとめ、ひたひに高く手をかざし、よくよくそれを見きはめて、それから俄《には》かに一礼し、急いで、馬を降りようとした。ところが馬を降りれない、もう将軍の両足は、しつかり馬の鞍《くら》につき、鞍はこんどは、がつしりと馬の背中にくつついて、もうどうしてもはなれない。さすが豪気の将軍も、すつかりあわてて赤くなり、口をびくびく横に曲げ、一生けん命、はね下りようとするのだが、どうにもからだがうごかなかつた。あゝこれこそじつに将軍が、三十年も、国境の空気の乾いた砂漠《さばく》のなかで、重いつとめを肩に負ひ、一度も馬を下りないために、馬とひとつになつたのだ。おまけに砂漠のまん中で、どこにも草の生えるところがなかつたために、多分はそれが将軍の顔を見付けて生えたのだらう。灰いろをしたふしぎなものがもう将軍の顔や手や、まるでいちめん生えてゐた。兵隊たちにも生えてゐた。そのうち使ひの大臣は、だんだん近くやつて来て、もうまつさきの大きな槍《やり》や、旗のしるしも見えて来た。
将軍、馬を下りなさい。王様からのお迎ひです。将軍、馬を下りなさい。向ふの列で誰《だれ》か云ふ。将軍はまた手をばたばたしたが、やつぱりからだがはなれない。
ところが迎ひの大臣は、鮒《ふな》よりひどい近眼だつた。わざと馬から下りないで、両手を振つて、みんなに何か命令してると考へた。
「謀叛《むほん》だな。よし。引き上げろ。」さう大臣はみんなに云つた。そこで大臣一行は、くるつと馬を立て直し、黄いろな塵《ちり》をあげながら、一目散に戻つて行く。ソン将軍はこれを見て肩をすぼめてため息をつき、しばらくぼんやりしてゐたが、俄かにうしろを振り向いて、軍師の長を呼び寄せた。
「おまへはすぐに鎧《よろひ》を脱いで、おれの刀と弓をもち、早くお宮へ行つてくれ。それから誰かにかう云ふのだ。北守将軍ソンバーユーは、あの国境の砂漠の上で、三十年のひるも夜も、馬から下りるひまがなく、たうとうからだが鞍につき、そのまた鞍が馬について、どうにもお前へ出られません。これからお医者に行きまして、やがて参内いたします。かうていねいに云つてくれ。」
軍師の長はうなづいて、すばやく鎧と兜《かぶと》を脱ぎ、ソン将軍の刀をもつて、一目散にかけて行く。ソン将軍はみんに云つた。
「全軍しづかに馬をおり、兜をぬいで地に座れ。ソン大将はたゞ今から、ちよつとお医者へ行つてくる。そのうち音をたてないで、じいつとやすんでゐてくれい。わかつたか。」
「わかりました。将軍」兵隊共は声をそろへて一度に叫ぶ。将軍はそれを手で制し、急いで馬に鞭《むち》うつた。たびたびペたんと砂漠《さばく》に寝た、この有名な白馬《しろうま》は、こゝで最後の力を出し、がたがたがたがた鳴りながら、風より早くかけ出した。さて将軍は十町ばかり、夢中で馬を走らせて、大きな坂の下に来た。それから俄《には》かにかう云つた。
「上手な医者はいつたい誰《だれ》だ。」
一人の大工が返事した。
「それはリンパー先生です。」
「そのリンパーはどこに居る。」
「すぐこの坂のま上です。あの三つある旗のうち、一番左でございます。」
「よろしい、しゆう。」と将軍は、例の白馬《はくば》に一鞭くれて、一気に坂をかけあがる。大工はあとでぶつぶつ云つた。
「何だ、あいつは野蛮なやつだ。ひとからものを教はつて、よろしい、しゆう とはいつたいなんだ。」
ところがバーユー将軍は、そんなことには構はない。そこらをうろうろあるいてゐる、病人たちをはね越えて、門の前まで上つてゐた。なるほど門のはしらには、小医リンパー先生と、金看板がかけてある。
三、リンパー先生
さてソンバーユー将軍は、いまやリンパー先生の、大玄関を乗り切つて、どしどし廊下へ入つて行く。さすがはリンパー病院だ、どの天井も室《へや》の扉《と》も、高さが二丈ぐらゐある。
「医者はどこかね。診てもらひたい。」ソン将軍は号令した。
「あなたは一体何ですか。馬のまんまで入るとは、あんまり乱暴すぎませう。」萌黄《もえぎ》の長い服を着て、頭を剃《そ》つた一人の弟子が、馬のくつわをつかまへた。
「おまへが医者のリンパーか、早くわが輩の病気を診ろ。」
「いゝえ、リンパー先生は、向ふの室に居られます。けれどもご用がおありなら、馬から下りていたゞきたい。」
「いゝや、そいつができんのぢや。馬からすぐに下りれたら、今ごろはもう王様の、前へ行つてた筈《はず》なんぢや。」
「ははあ、馬から降りられない。そいつは脚の硬直だ。そんならいゝです。おいでなさい。」
弟子は向ふの扉をあけた。ソン将軍はぱかぱかと馬を鳴らしてはひつて行つた。中には人がいつぱいで、そのまん中に先生らしい、小さな人が床几《しやうぎ》に座り、しきりに一人の眼を診てゐる。
「ひとつこつちをたのむのぢや。馬から降りられないでなう。」さう将軍はやさしく云つた。ところがリンパー先生は、見向きもしないし動きもしない。やつぱりじつと眼を見てゐる。
「おい、きみ、早くこつちを見んか。」将軍が怒鳴り出したので、病人たちはびくつとした。ところが弟子がしづかに云つた。
「診るには番がありますからな。あなたは九十六番で、いまは六人目ですから、もう九十人お待ちなさい。」
「黙れ、きさまは我輩に、七十二人待てつと
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