れ》かを見ると試しに来る。馬のしつぽを抜いたりね。目をねらつたりするもんで、こいつがでたらもう馬は、がたがたふるへてようあるかんね。」
「そんなら一ペん欺《だま》されると、何日ぐらゐでよくなりますか。」
「まあ四日ぢやね。五日のときもあるやうぢや。」
「それであなたは今までに、何べんぐらゐ欺されました?」
「ごく少くて十ぺんぢやらう。」
「それではお尋ねいたします。百と百とを加へると答はいくらになりますか。」
「百八十ぢや。」
「それでは二百と二百では。」
「さやう、三百六十だらう。」
「そんならも一つ伺《うかが》ひますが、十の二倍は何ほどですか。」
「それはもちろん十八ぢや。」
「なるほど、すつかりわかりました。あなたは今でもまだ少し、砂漠《さばく》のためにつかれてゐます。つまり十パーセントです。それではなほしてあげませう。」
 パー先生は両手をふつて、弟子にしたくを云ひ付けた。弟子は大きな銅鉢《どうばち》に、何かの薬をいつぱい盛つて、布巾《ふきん》を添へて持つて来た。ソン将軍は両手を出して鉢をきちんと受けとつた。パー先生は片袖《かたそで》まくり、布巾に薬をいつぱいひたし、かぶとの上からざぶざぶかけて、両手でそれをゆすぶると、兜《かぶと》はすぐにすぱりととれた。弟子がも一人、もひとつ別の銅鉢へ、別の薬をもつてきた。そこでリンパー先生は、別の薬でじやぶじやぶ洗ふ。雫《しづく》はまるでまつ黒だ。ソン将軍は心配さうに、うつむいたまゝ訊《き》いてゐる。
「どうかね、馬は大丈夫かね。」
「もうぢきです。」とパー先生は、つゞけてじやぶじやぶ洗つてゐる。雫がだんだん茶いろになつて、それからうすい黄いろになつた。それからたうとうもう色もなく、ソン将軍の白髪は、熊《くま》より白く輝いた。そこでリンパー先生は、布巾を捨てて両手を洗ひ、弟子は頭と顔を拭《ふ》く。将軍はぶるつと身ぶるひして、馬にきちんと起きあがる。
「どうです、せいせいしたでせう。ところで百と百とをたすと、答はいくらになりますか。」
「もちろんそれは二百だらう。」
「そんなら二百と二百とたせば。」
「さやう、四百にちがひない。」
「十の二倍はどれだけですか。」
「それはもちろん二十ぢやな。」さつきのことは忘れた風で、ソン将軍はけろりと云ふ。
「すつかりおなほりなりました。つまり頭の目がふさがつて、一割いけなかつたのですな。」
「いやいや、わしは勘定などの、十や二十はどうでもいいんぢや。それは算師がやるでなう。わしは早速この馬と、わしをはなしてもらひたいんぢや。」
「なるほどそれはあなたの足を、あなたの服と引きはなすのは、すぐ私に出来るです。いやもう離れてゐる筈《はず》です。けれども、ずぼんが鞍《くら》につき、鞍がまた馬についたのを、はなすといふのは別ですな。それはとなりで、私の弟がやつてゐますから、そつちへおいでいただきます。それにいつたいこの馬もひどい病気にかかつてゐます。」
「そんならわしの顔から生えた、このもじやもじやはどうぢやらう。」
「そちらもやつぱり向ふです。とにかくひとつとなりの方へ、弟子をお供に出しませう。」
「それではそつちへ行くとしよう。ではさやうなら。」
 さつきの白いきものをつけた、むすめが馬の右耳に、息を一つ吹き込んだ。馬はがばつとはねあがり、ソン将軍は俄《には》かに背《せい》が高くなる、将軍は馬のたづなをとり、弟子とならんで室《へや》を出る。それから庭をよこぎつて厚い土塀《どべい》の前に来た。小さな潜《くぐ》りがあいてゐる。
「いま裏門をあけさせませう。」助手は潜りを入つて行く。
「いゝや、それには及ばない。わたしの馬はこれぐらゐ、まるで何とも思つてやしない。」
 将軍は馬にむちをやる。
 ぎつ、ばつ、ふう。馬は土塀をはね越えて、となりのリンプー先生の、けしのはたけをめちやくちやに、踏みつけながら立つてゐた。

      四、馬医リンブー先生

 ソン将軍が、お医者の弟子と、けしの畑をふみつけて向ふの方へ歩いて行くと、もうあつちからもこつちからも、ぶるるるふうといふやうな、馬の仲間の声がする。そして二人が正面の、巨《おほ》きな棟《むね》にはひつて行くと、もう四方から馬どもが、二十|疋《ぴき》もかけて来て、蹄《ひづめ》をことこと鳴らしたり、頭をぶらぶらしたりして、将軍の馬に挨拶《あいさつ》する。
 向ふでリンプー先生は、首のまがつた茶いろの馬に、白い薬を塗つてゐる。さつきの弟子が進んで行つて、ちよつと何かをさゝやくと、馬医のリンプー先生は、わらつてこつちをふりむいた。巨きな鉄の胸甲《むなあて》を、がつしりはめてゐることは、ちやうどやつぱり鎧《よろひ》のやうだ。馬にけられぬためらしい。将軍はすぐその前へ、じぶんの馬を乗りつけた。
「あなたがリンプー先生か。
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