柳沢
宮沢賢治
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)藻《も》の
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)大丈夫|外《そ》れ弾丸は
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ん」は小書き]
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林は夜の空気の底のすさまじい藻《も》の群落だ。みんなだまって急いでゐる。早く通り抜けようとしてゐる。
俄《にはか》に空がはっきり開け星がいっぱい耀《きら》めき出した。たゞその空のところどころ中風にでもかかったらしく変に淀《よど》んで暗いのは幾片か雲が浮んでゐるのにちがひない。
その静かな微光の下から烈《はげ》しく犬が啼《な》き出した。
けれども家の前を通るときは犬は裏手の方へ逃げて微《かす》かにうなってゐるのだ。
一寸《ちょっと》来ない間に社務所の向ひに立派な宿ができた。ラムプが黄いろにとぼってゐる。社務所ではもう戸を閉めた。
(こんや、二時まで泊めて下さい。四人です。たいまつがありますか。わらぢがありますか。それから何かよるのたべものがありますか。ほう、火がよく燃えてるな。そいぢゃ、よござんすか。入りますよ。)
(さあ、二時までぐっすりやるんだぜ。ねむらないとあしたつかれるぞ。はてな、となりへ誰《たれ》か来てゐるな。さうだ、土間に測量の器械なんかが置いてあった。)
青いきらびやかなねむりのもやが早くもぼんやりかゝるのに誰かどしどし梯子《はしご》をふんでやって来る。隣りの室《へや》をどんと明ける。
「やあ旦那《だんな》さん。ぶん萄酒《どしゅ》一杯やりなさい。」
「葡萄酒《ぶんどしゅ》? 葡萄酒《ぶだうしゅ》かい。お前がつくった葡萄酒かい。熱《あたた》めてあるのかい。」
「まあ一杯おあがりなさい。さうです。アルコールを入れたのです。」
「アルコールを入れたのか。あとで? 作ってから?」
「さうです。大丈夫ですよ。本当のアルコールです。見坊《けんばう》獣医から分けて貰《もら》ったのであります。」
「どうして拵《こさ》へたんだい。野葡萄を絞ってそれから?」
「いゝえ、あとで絞るのです。まあ、おあがりなさい。大丈夫であります。」
「さうか。そんなら貰はうか。おっと、沢山だよ。ふん、随分入れたな、アルコールを。」
「ずゐぶん瓶《びん》を沢山はじけらせました。」
「ふん。」
「砂糖を入れないでもやっぱり醸《わ》きます。」
「さうかい。砂糖を入れたら罰金だらう。おい、吉田、吉田。吉田を呼んで来て呉《く》れ、あ、いゝよ、来た来た。おい吉田。葡萄酒ださうだ。飲まないか。」
「さうですか。おや。熱くしてあるのか。どれ、おい沢山だ。渋いな。」
ねむけのもやがまた光る。
「あしたは騎兵が実弾射撃に来るさうぢゃないか。どこへ射《う》つのだらう。」
「笹森《ささもり》山、地図を拝見、これです。なあに私等の方は危くありませんよ。」
「しかし弾丸《たま》が外《そ》れたら困るぜ。」
「なあに、旦那さん。そんたに来ません。そぃつさ騎兵だん[#「ん」は小書き]すぢゃぃ。」
ふん、あいつはあの首に鬱金《うこん》を巻きつけた旭川《あさひかは》の兵隊上りだな、騎兵だから射的はまづい、それだから大丈夫|外《そ》れ弾丸は来ない、といふのは変な理窟《りくつ》だ。けれどもしんとしてゐる。みんな少し酔って感心したんだな。
「今日は君は楽だったらう。」
「えゝ、しかし昨日は鞍掛《くらかけ》でまるで一面の篠笹《しのざさ》、とても這《は》ふもよぢるもできませんでした。」
「いや、おれの方だってさうだ。さあ寝るかな。あしたは天気は大丈夫だな。四つまでできるかな。」
「えゝ。」
「やっ、お邪魔しぁんした。まだ入って居《を》ります。置いて行きます。」
「おい、持って行け、持って行け、もう飲まんぞ。」
さうだ。帝室林野局の人たちだ。
たしかにこれは夢のはじめの方の青ぐろい空だ。山の中腹から裾野《すその》に低く雲が垂れ、その星明りの雲の原の上でごろごろと雷が鳴ってゐる。実に静にうなってゐる。夢の中の雷がごろごろごろごろうなってゐる。雲の下の柏《かしは》の木立に時々冷たい雨の灌《そそ》ぐのが手に取るやうだ。それでもやはり夢らしい。
何時かな。もう二時半だ。少しおくれた。いや、丁度いゝ。寒い。
(おい。もう二時半だ。二時半だ。行かう行かう。)寒くてガタガタする。みんなうらうら仕度をしてゐる。ゆふべのつゞきの灰色ズックの鞄《かばん》、ラムプの光は青い孔雀《くじゃく》の羽。
(いゝか。火がついたか。さあ出よう。たいまつはまん中だぞ。寒いな。)
空の鋼は奇麗に拭《ぬぐ》はれ気圏の淵《ふち》は青黝《あをくろ》ぐろと澄みわたり一つの微塵《みぢん》も置いてない。
いっぱいの星がべつべつに瞬いてゐる。オ
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