自分と人とをばかりくらべてばかりゐてはならん。」といふことだけです。それで私は卒業したのです。全くどうも私がいけなかったのです。
 いや、耕平さん。早く葡萄の粒を、みんな桶《をけ》に入れて、軽く蓋《ふた》をしておやすみなさい。さよなら。

     (四)[#「(四)」は縦中横]

 あれから丁度、今夜で三日になるのです。
 おとなしい耕平のおかみさんが、葡萄のはひったあの桶を、てかてかの板の間のまん中にひっぱり出しました。
 子供はまはりをぴょんぴょんとびます。
 耕平は今夜も赤く光って、熱《ほて》ってフウフウ息をつきながら、だまって立って見てゐます。
 おかみさんは赤漆塗《あかうるしぬ》りの鉢《はち》の上に笊《ざる》を置いて、桶《をけ》の中から半分|潰《つぶ》れた葡萄《ぶだう》の粒を、両手に掬《すく》って、お握りを作るやうな工合《ぐあひ》にしぼりはじめました。
 まっ黒な果汁は、見る見る鉢にたまります。
 耕平はじっとしばらく見てゐましたが、いきなり高く叫びました。
「ぢゃ、今年ぁ、こいつさ砂糖入れるべな。」
「罰金取らへらんすぢゃ。」
「うんにゃ。税務署に見《め》っけらへれば、罰金取らへる。見《め》っけらへなぃば、すっこすっこど葡《ぶ》ん[#「ん」は小書き]萄酒《どしゅ》呑《の》む。」
「なじょして蔵《かぐ》して置ぐあん[#「ん」は小書き]す。」
「うん。砂糖入れで、すぐに今夜《こんにゃ》、瓶《びん》さ詰めでしむべぢゃ。そして落しの中さ置ぐべすさ。瓶、去年なのな、あったたぢゃな。」
「瓶はあらんす。」
「そだら砂糖持ってこ。喜助ぁ先《せん》どな持って来たけぁぢゃ。」
「あん、あらんす。」
 砂糖が来ました。耕平はそれを鉢の汁の中に投げ込んで掻《か》きまはし、その汁を今度は布の袋にあけました。袋はぴんとはり切ってまっ赤なので、
「ほう、こいづはまるで牛《べご》の胆《きも》のよだな。」と耕平が云ひました。そのうちにおかみさんは流しでこちこち瓶を洗って持って来ました。
 それから二人はせっせと汁を瓶につめて栓《せん》をしました。麦酒瓶《ビールびん》二十本ばかり出来あがりました。「特製御葡萄水」といふ、去年のはり紙のあるのもあります。このはり紙はこの辺で共同でこしらへたのです。
 これをはって売るのです。さやう、去年はみんなで四十本ばかりこしらへました。もちろん砂糖は入れませんでした。砂糖を入れると酒になるので、罰金です。その四十本のうち、十本ばかりはほかのうちのやうに、一本三十銭づつで町の者に売ってやりましたが、残りは毎晩耕平が、
「うう、渋、うう、酸っかい。湧《わ》ぃでるぢゃい。」なんて云ひながら、一本づつだんだんのんでしまったのでした。
 さて瓶がずらりと板の間にならんで、まるでキラキラします。おかみさんは足もとの板をはづして床下の落しに入って、そこからこっちに顔を出しました。
 耕平は、
「さあ、いゝが。落すな。瓶の脚揃《そろ》ぇでげ。」なんて云ひながら、それを一本づつ渡します。
[#ここから4字下げ]
耕平は、潰し葡萄を絞りあげ、
砂糖を加へ、
瓶《びん》にたくさんつめこんだ。
[#ここで字下げ終わり]
と斯《か》う云ふわけです。

     (五)[#「(五)」は縦中横]

 あれから六日たちました。
 向ふの山は雪でまっ白です。
 草は黄いろに、をととひなどはみぞれさへちょっと降りました。耕平とおかみさんとは家の前で豆を叩《たた》いて居《を》りました。
 そのひるすぎの三時|頃《ころ》、西の方には縮れた白い雲がひどく光って、どうも何かしらあぶないことが起りさうでした。そこで
「ボッ」といふ爆発のやうな音が、どこからとなく聞えて来ました。耕平は豆を叩く手をやめました。
「ぢゃ、今の音聴だが。」
「何だべぁんす。」
「きっとどの山が噴火ン[#「ン」は小書き]したな。秋田の鳥海山だべが。よっぽど遠ぐの方だよだぢゃい。」
「ボッ。」音がまた聞えます。
「はぁでな、又やった。きたいだな。」
「ボッ。」
「をぉがしな。」
「どごだべぁん[#「ん」は小書き]す。」
「どごでもいがべ。此処《こご》まで来なぃがべ。」
 それからずうっとしばらくたって、又音がします。
 それからしばらくしばらくたってから、又聞えます。
 その西の空の眼《め》の痛いほど光る雲か、すきとほる風か、それとも向ふの柏林《かしはばやし》の中にはひった小さな黒い影法師か、とにかく誰《たれ》かが斯う歌ひました。
[#ここから3字下げ]
「一昨日《をどでな》、みぃぞれ降ったれば
 すゞらんの実ぃ、みんな赤ぐなて、
 雪の支度のしろうさぎぁ、
 きいらりきいらど歯ぁみがぐ。」
[#ここで字下げ終わり]
 ところが
「ボッ。」
 音はまだやみません。
 耕平はしばらく馬
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