ろしてしまい土神はまるで頭から青い色のかなしみを浴びてつっ立たなければなりませんでした。それは狐が来ていたのです。もうすっかり夜でしたが、ぼんやり月のあかりに澱《よど》んだ霧の向うから狐の声が聞えて来るのでした。
「ええ、もちろんそうなんです。器械的に対称《シインメトリー》の法則にばかり叶《かな》っているからってそれで美しいというわけにはいかないんです。それは死んだ美です。」
「全くそうですわ。」しずかな樺の木の声がしました。
「ほんとうの美はそんな固定した化石した模型のようなもんじゃないんです。対称の法則に叶うって云ったって実は対称の精神を有《も》っているというぐらいのことが望ましいのです。」
「ほんとうにそうだと思いますわ。」樺の木のやさしい声が又しました。土神は今度はまるでべらべらした桃《もも》いろの火でからだ中燃されているようにおもいました。息がせかせかしてほんとうにたまらなくなりました。なにがそんなにおまえを切なくするのか、高《たか》が樺の木と狐との野原の中でのみじかい会話ではないか、そんなものに心を乱されてそれでもお前は神と云えるか、土神は自分で自分を責めました。狐《きつね》が又云いました。
「ですから、どの美学の本にもこれくらいのことは論じてあるんです。」
「美学の方の本|沢山《たくさん》おもちですの。」樺の木はたずねました。
「ええ、よけいもありませんがまあ日本語と英語と独乙《ドイツ》語のなら大抵《たいてい》ありますね。伊太利《イタリー》のは新らしいんですがまだ来ないんです。」
「あなたのお書斎《しょさい》、まあどんなに立派でしょうね。」
「いいえ、まるでちらばってますよ、それに研究室兼用ですからね、あっちの隅《すみ》には顕微鏡《けんびきょう》こっちにはロンドンタイムス、大理石のシィザアがころがったりまるっきりごったごたです。」
「まあ、立派だわねえ、ほんとうに立派だわ。」
 ふんと狐の謙遜《けんそん》のような自慢《じまん》のような息の音がしてしばらくしいんとなりました。
 土神はもう居ても立っても居られませんでした。狐の言っているのを聞くと全く狐の方が自分よりはえらいのでした。いやしくも神ではないかと今まで自分で自分に教えていたのが今度はできなくなったのです。ああつらいつらい、もう飛び出して行って狐を一裂《ひとさ》きに裂いてやろうか、けれどもそんな
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