り立派《りっぱ》に変わっていました。青いそらからかすかなかすかな楽《がく》のひびき、光の波《なみ》、かんばしく清《きよ》いかおり、すきとおった風のほめことばが丘《おか》いちめんにふりそそぎました。
 なぜならばすずらんの葉《は》は今はほんとうの柔《やわ》らかなうすびかりする緑色《みどりいろ》の草だったのです。
 うめばちそうはすなおな、ほんとうのはなびらをもっていたのです。そして十力《じゅうりき》の金剛石《こんごうせき》は野ばらの赤い実《み》の中のいみじい細胞《さいぼう》の一つ一つにみちわたりました。
 その十力《じゅうりき》の金剛石《こんごうせき》こそは露《つゆ》でした。
 ああ、そしてそして十力《じゅうりき》の金剛石《こんごうせき》は露《つゆ》ばかりではありませんでした。碧《あお》いそら、かがやく太陽《たいよう》、丘《おか》をかけて行く風、花のそのかんばしいはなびらや、しべ、草のしなやかなからだ、すべてこれをのせになう丘《おか》や野原、王子たちのびろうどの上着《うわぎ》や涙《なみだ》にかがやく瞳《ひとみ》、すべてすべて十力《じゅうりき》の金剛石《こんごうせき》でした。あの十力《じゅうりき》の大宝珠《だいほうじゅ》でした。あの十力《じゅうりき》の尊《とうと》い舎利《しゃり》でした。あの十力《じゅうりき》とは誰《だれ》でしょうか。私はやっとその名を聞いただけです。二人《ふたり》もまたその名をやっと聞いただけでした。けれどもこの蒼鷹《あおたか》のように若い二人《ふたり》がつつましく草の上にひざまずき指《ゆび》を膝《ひざ》に組んでいたことはなぜでしょうか。
 さてこの光の底《そこ》のしずかな林の向《む》こうから二人《ふたり》をたずねるけらいたちの声が聞こえて参《まい》りました。
「王子|様《さま》王子|様《さま》。こちらにおいででございますか。こちらにおいででございますか。王子|様《さま》」
 二人《ふたり》は立ちあがりました。
「おおい。ここだよ」と王子は叫《さけ》ぼうとしましたが、その声はかすれていました。二人《ふたり》はかがやく黒い瞳《ひとみ》を、蒼《あお》ぞらから林の方に向《む》けしずかに丘《おか》を下って行きました。
 林の中からけらいたちが出て来てよろこんで笑《わら》ってこっちへ走って参《まい》りました。
 王子も叫《さけ》んで走ろうとしましたが、一本のさるとりいばらがにわかにすこしの青い鉤《かぎ》を出して王子の足に引っかけました。王子はかがんでしずかにそれをはずしました。



底本:「銀河鉄道の夜」角川文庫、角川書店
   1969(昭和44)年7月20日改版初版発行
   1991(平成3)年6月10日改版65版
入力:土屋隆
校正:石橋めぐみ
2007年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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