仏にあはれたぢゃ。そして次第に法力《ほふりき》を得て、やがてはさきにも申した如く、火の中に入れどもその毛一つも傷つかず、水に入れどもその羽一つぬれぬといふ、大力の菩薩《ぼさつ》となられたぢゃ。今このご文は、この大菩薩が、悪業《あくごふ》のわれらをあはれみて、救護の道をば説かしゃれた。その始めの方ぢゃ。しばらく休んで次の講座で述べるといたす。
 南無《なむ》疾翔大力、南無疾翔大力。
 みなの衆しばらくゆるりとやすみなされ。」
 いちばん高い木の黒い影が、ばたばた鳴って向ふの低い木の方へ移ったやうでした。やっぱりふくろふだったのです。
 それと同時に、林の中は俄《には》かにばさばさ羽の音がしたり、嘴《くちばし》のカチカチ鳴る音、低くごろごろつぶやく音などで、一杯になりました。天の川が大分まはり大熊星《おほぐまぼし》がチカチカまたゝき、それから東の山脈の上の空はぼおっと古めかしい黄金《きん》いろに明るくなりました。
 前の汽車と停車場で交換したのでせうか、こんどは南の方へごとごと走る音がしました。何だか車のひゞきが大へん遅く貨物列車らしかったのです。
 そのとき、黒い東の山脈の上に何かちらっと黄いろな尖《とが》った変なかたちのものがあらはれました。梟《ふくろふ》どもは俄にざわっとしました。二十四日の黄金《きん》の角《つの》、鎌《かま》の形の月だったのです。忽《たちま》ちすうっと昇ってしまひました。沼の底の光のやうな朧《おぼろ》な青いあかりがぼおっと林の高い梢《こずゑ》にそゝぎ一|疋《ぴき》の大きな梟《ふくろふ》が翅《はね》をひるがへしてゐるのもひらひら銀いろに見えました。さっきの説教の松の木のまはりになった六本にはどれにも四|疋《ひき》から八疋ぐらゐまで梟がとまってゐました。低く出た三本のならんだ枝に三疋の子供の梟がとまってゐました。きっと兄弟だったでせうがどれも銀いろで大さ[#「大さ」はママ]はみな同じでした。その中でこちらの二疋は大分|厭《あ》きてゐるやうでした。片っ方の翅をひらいたり、片脚でぶるぶる立ったり、枝へ爪《つめ》を引っかけてくるっと逆さになって小笠原島のかうもりのまねをしたりしてゐました。
 それから何か云《い》ってゐました。
「そら、大の字やって見せようか。大の字なんか何でもないよ。」
「大の字なんか、僕《ぼく》だってできらあ。」
「できるかい。できるならやってごらん。」
「そら。」その小さな子供の梟はほんの一寸《ちょっと》の間、消防のやるやうな逆さ大の字をやりました。
「何だい。そればっかしかい。そればっかしかい。」
「だって、やったんならいゝんだらう。」
「大の字にならなかったい。たゞの十の字だったい、脚が開かないぢゃないか。」
「おい、おとなしくしろ。みんなに笑はれるぞ。」すぐ上の枝に居たお父さんのふくろふがその大きなぎらぎら青びかりする眼でこっちを見ながら云ひました。眼のまはりの赤い隈《くま》もはっきり見えました。
 ところがなかなか小さな梟の兄弟は云ふことをききませんでした。
「十の字、ほう、たての棒の二つある十の字があるだらうか。」
「二つに開かなかったい。」
「開いたよ。」
「何だ生意気な。」もう一疋は枝からとび立ちました。もう一疋もとび立ちました。二疋はばたばた、けり合ってはねが月の光に銀色にひるがへりながら下へ落ちました。
 おっかさんのふくろふらしいさっきのお父さんのとならんでゐた茶いろの少し小型のがすうっと下へおりて行きました。それから下の方で泣声が起りました。けれども間もなくおっかさんの梟はもとの処《ところ》へとびあがり小さな二疋ものぼって来て二疋とももとのところへとまって片脚で眼をこすりました。お母さんの梟がも一度|叱《しか》りました。その眼も青くぎらぎらしました。
「ほんたうにお前たちったら仕方ないねえ。みなさんの見ていらっしやる処でもうすぐきっと喧嘩《けんくわ》するんだもの。なぜ穂吉ちゃんのやうに、じっとおとなしくしてゐないんだらうねえ。」
 穂吉と呼ばれた梟は、三疋の中では一番小さいやうでしたが一番|温和《おとな》しいやうでした。じっとまっすぐを向いて、枝にとまったまゝ、はじめからおしまひまで、しんとしてゐました。
 その木の一番高い枝にとまりからだ中銀いろで大きく頬《ほほ》をふくらせ今の講義のやすみのひまを水銀のやうな月光をあびてゆらりゆらりとゐねむりしてゐるのはたしかに梟《ふくろふ》のおぢいさんでした。
 月はもう余程高くなり、星座もずゐぶんめぐりました。蝎座《さそりざ》は西へ沈むとこでしたし、天の川もすっかり斜めになりました。
 向ふの低い松の木から、さっきの年老《としよ》りの坊さんの梟が、斜に飛んでさっきの通り、説教の枝にとまりました。
 急に林のざわざわがやんで、しづかにし
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