|懺悔《ざんげ》の念あることなし。
悪業《あくごふ》を以ての故に、更に又諸の悪業を作る。継起して遂《つひ》に竟《をは》ることなし。昼は則ち日光を懼《おそ》れ又人|及《および》諸の強鳥を恐る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。一度|梟身《けうしん》を尽して、又|新《あらた》に梟身を得。審《つまびらか》に諸の患難を被《かうむ》りて、又尽くることなし。
で前の晩は、斯《かく》の如《ごと》きの諸の悪業、挙げて数ふることなし、まで講じたが、今夜はその次ぢゃ。
悪業を以ての故に、更に又諸の悪業を作ると、これは誠に短いながら、強いお語《ことば》ぢゃ。先刻人間に恨みを返すとの議があった節、申した如くぢゃ、一の悪業によって一の悪果を見る。その悪果故に、又新なる悪業を作る。斯の如く展転して、遂《つひ》にやむときないぢゃ。車輪のめぐれどもめぐれども終らざるが如くぢゃ。これを輪廻《りんね》といひ、流転《るてん》といふ。悪より悪へとめぐることぢゃ。継起して遂《つひ》に竟《をは》ることなしと云ふがそれぢゃ。いつまでたっても終りにならぬ、どこどこまでも悪因悪果、悪果によって新に悪因をつくる。な。斯《か》うぢゃ、浮《うか》む瀬とてもあるまいぢゃ。昼は則《すなは》ち日光を懼《おそ》れ、又人|及《および》諸の強鳥を恐る。心|暫《しば》らくも安らかなることなし。これは流転の中の、つらい模様をわれらにわかるやう、直《ぢ》かに申されたのぢゃ。勿体《もったい》なくも、我等は光明の日天子《にってんし》をば憚《はば》かり奉る。いつも闇《やみ》とみちづれぢゃ。東の空が明るくなりて、日天子さまの黄金《きん》の矢が高く射出さるれば、われらは恐れて遁《に》げるのぢゃ。もし白昼にまなこを正しく開くならば、その日天子の黄金の征欠《そや》に伐《う》たれるぢゃ。それほどまでに我等は悪業《あくごふ》の身ぢゃ。又人及諸の強鳥を恐る。な。人を恐るゝことは、今夜今ごろ講ずることの限りでない。思ひ合せてよろしからう。諸の強鳥を恐る。鷹《たか》やはやぶさ、又さほど強くはなけれども日中なれば烏などまで恐れねばならぬ情ない身ぢゃ。はやぶさなれば空よりすぐに落ちて来て、こなたが小鳥をつかむときと同じやうなるありさまぢゃ、たちまち空で引き裂かれるぢゃ、少しのさからひをしたとて、何にもならぬ、げにもげにも浅間《あさま》しくなさけないわれらの身ぢゃ。」
梟《ふくろふ》の坊さんは一寸《ちょっと》声を切りました。今夜ももう一時の上《のぼ》りの汽車の音が聞えて来ました。その音を聞くと梟どもは泣きながらも、汽車の赤い明るいならんだ窓のことを考へるのでした。講釈がまた始まりました。
「心|暫《しば》らくも安らかなることなしと、どうぢゃ、みなの衆、たゞの一時《いっとき》でも、ゆっくりと何の心配もなく落ち着いたことがあるかの。もういつでもいつでもびくびくものぢゃ。一度《ひとたび》梟身《けうしん》を尽して又|新《あらた》に梟身を得《う》と斯《か》うぢゃ。泣いて悔やんで悲しんで、つひには年|老《と》る、病気になる、あらんかぎりの難儀をして、それで死んだら、もうこの様な悪鳥の身を離れるかとならば、仲々さうは参らぬぞや。身に染み込んだ罪業《ざいごふ》から、又梟に生れるぢゃ。斯《かく》の如《ごと》くにして百|生《しゃう》、二百生、乃至《ないし》劫《こふ》をも亙《わた》るまで、この梟身を免れぬのぢゃ。審《つまびらか》に諸の患難を蒙《かうむ》りて又尽くることなし。もう何もかも辛《つら》いことばかりぢゃ。さて今東の空は黄金《きん》色になられた。もう月天子《ぐわってんし》がお出ましなのぢゃ。来月二十六夜ならば、このお光に疾翔大力《しっしょうたいりき》さまを拝み申すぢゃなれど、今宵《こよひ》とて又拝み申さぬことでない、みなの衆、ようくまごゝろを以て仰ぎ奉るぢゃ。」
二十六夜の金いろの鎌《かま》の形のお月さまが、しづかにお登りになりました。そこらはぼおっと明るくなり、下では虫が俄《には》かにしいんしいんと鳴き出しました。
遠くの瀬の音もはっきり聞えて参りました。
お月さまは今はすうっと桔梗《ききゃう》いろの空におのぼりになりました。それは不思議な黄金《きん》の船のやうに見えました。
俄かにみんなは息がつまるやうに思ひました。それはそのお月さまの船の尖《とが》った右のへさきから、まるで花火のやうに美しい紫いろのけむりのやうなものが、ばりばりばりと噴き出たからです。けむりは見る間にたなびいて、お月さまの下すっかり山の上に目もさめるやうな紫の雲をつくりました。その雲の上に、金いろの立派な人が三人まっすぐに立ってゐます。まん中の人はせいも高く、大きな眼でじっとこっちを見てゐます。衣のひだまで一一はっきりわかります。お星さまをちりばめた
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