「戸のあいてる時をねらって赤子の頭を突いてやれ。畜生め。」
 梟の坊さんは、じっとみんなの云ふのを聴いてゐましたがこの時しづかに云ひました。
「いやいや、みなの衆、それはいかぬぢゃ。これほど手ひどい事なれば、必らず仇《あだ》を返したいはもちろんの事ながら、それでは血で血を洗ふのぢゃ。こなたの胸が霽《は》れるときは、かなたの心は燃えるのぢゃ。いつかはまたもっと手ひどく仇を受けるぢゃ、この身終って次の生《しゃう》まで、その妄執《まうしふ》は絶えぬのぢゃ。遂《つひ》には共に修羅《しゅら》に入り闘諍《とうさう》しばらくもひまはないぢゃ。必らずともにさやうのたくみはならぬぞや。」
 けたたましくふくろふのお母さんが叫びました。
「穂吉穂吉しっかりおし。」
 みんなびくっとしました。穂吉のお父さんもあわてて穂吉の居た枝に飛んで行きましたがとまる所がありませんでしたからすぐその上の枝にとまりました。穂吉のおぢいさんも行きました。みんなもまはりに集りました。穂吉はどうしたのか折られた脚をぷるぷる云はせその眼は白く閉ぢたのです。お父さんの梟は高く叫びました。
「穂吉、しっかりするんだよ。今お説教がはじまるから。」
 穂吉はパチッと眼をひらきました。それから少し起きあがりました。見えない眼でむりに向ふを見ようとしてゐるやうでした。
「まあよかったね。やっぱりつかれてゐるんだらう。」女の梟たちは云ひ合ひました。
 坊さんの梟はそこで云ひました。
「さあ、講釈をはじめよう。みなの衆座にお戻りなされ。今夜は二十六日ぢゃ、来月二十六日はみなの衆も存知の通り、二十六夜待ちぢゃ。月天子《ぐわってんし》山のはを出《い》でんとして、光を放ちたまふとき、疾翔大力《しっしょうたいりき》、爾迦夷《るかゐ》波羅夷《はらゐ》の三尊が、東のそらに出現まします。今宵《こよひ》は月は異なれど、まことの心には又あらはれ給はぬことでない。穂吉どのも、たゞ一途《いちづ》に聴聞《ちゃうもん》の志ぢゃげなで、これからさっそく講ずるといたさう。穂吉どの、さぞ痛からう苦しからう、お経の文とて仲々耳には入るまいなれど、そのいたみ悩みの心の中に、いよいよ深く疾翔大力さまのお慈悲を刻みつけるぢゃぞ、いゝかや、まことにそれこそ菩提《ぼだい》のたねぢゃ。」
 梟の坊さんの声が又少し変りました。一座はしいんとなりました。林の中にもう鳴き出した秋の虫があります。坊さんはしばらく息をこらして気を取り直しそれから厳《いか》めしい声で願をたててから昨夜の続きをはじめました。
「梟鵄《けうし》救護《くご》章 梟鵄救護章
 諸《もろもろ》の仁者《じんしゃ》掌《て》を合せて至心に聴き給へ。我今|疾翔大力《しっしょうたいりき》が威神力を享《う》けて梟鵄救護章の一節を講ぜんとす。唯《ただ》願ふらくはかの如来《にょらい》大慈《だいじ》大悲《だいひ》我が小願の中に於《おい》て大神力を現じ給ひ妄言《まうげん》綺語《きご》の淤泥《おでい》を化《け》して光明|顕色《けんじき》の浄瑠璃《じゃうるり》となし、浮華《ふくわ》の中より清浄《しゃうじゃう》の青蓮華《しゃうれんげ》を開かしめ給はんことを。至心欲願、南無仏南無仏南無仏。
 爾《そ》の時に疾翔大力、爾迦夷《るかゐ》に告げて曰《いは》く、諦《あきらか》に聴け諦に聴け。善《よ》く之《これ》を思念せよ。我今|汝《なんぢ》に梟鵄|諸《もろもろ》の悪禽《あくきん》離苦《りく》解脱《げだつ》の道を述べんと。
 爾迦夷|則《すなは》ち両翼を開張し、虔《うやうや》しく頸《くび》を垂れて座を離れ、低く飛揚して疾翔大力を讃嘆すること三匝《さんさふ》にして、徐《おもむろ》に座に復し、拝跪《はいき》して願ふらく疾翔大力、疾翔大力、たゞ我等が為《ため》にこれを説き給へ。たゞ我等が為にこれを説き給へと。
 疾翔大力、微笑して金色《こんじき》の円光を以《もっ》て頭《かうべ》に被れるに、諸鳥歓喜充満せり。則ち説いて曰く、
 汝等|審《つまびらか》に諸の悪業《あくごふ》を作る。或《あるい》は夜陰を以て小禽《せうきん》の家に至る。時に小禽|既《すで》に終日日光に浴し、歌唄《かばい》跳躍して疲労をなし、唯唯甘美の睡眠中にあり、汝等飛躍して之を握《つか》む。利爪《りさう》深くその身に入り、諸の小禽痛苦又声を発するなし、則ち之を裂きて擅《ほしいまま》に※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食《たんじき》す。或は沼田《せうでん》に至り、螺蛤《らかふ》を啄《ついば》む。螺蛤軟泥中にあり、心|柔※[#「車+(而/大)」、第3水準1−92−46]《にうなん》にして唯温水を憶《おも》ふ。時に俄《にはか》に身空中にあり、或は直ちに身を破る、悶乱《もんらん》声を絶す。汝等之を※[#「口+敢」、第3水準1−15−19]食するに、又
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