》に諸の苦患を被《かうむ》りて、又尽くることなし。で前の座では、捨身菩薩《しゃしんぼさつ》を疾翔大力《しっしょうたいりき》と呼びあげるわけあひ又、その願成《ぐわんじゃう》の因縁をお話いたしたぢゃが、次に爾迦夷《るかゐ》に告げて曰《いは》くとある。爾迦夷といふはこのとき我等と同様|梟《ふくろふ》ぢゃ。われらのご先祖と、一緒にお棲《すま》ひなされたお方ぢゃ。今でも爾迦夷|上人《しゃうにん》と申しあげて、毎月十三日がご命日ぢゃ。いづれの家でも、梟の限りは、十三日には楢《なら》の木の葉を取《と》て参《まゐ》て、爾迦夷上人さまにさしあげるといふことをやるぢゃ、これは爾迦夷さまが楢の木にお棲ひなされたからぢゃ。この爾迦夷さまは、早くから梟の身のあさましいことをご覚悟遊ばされ、出離の道を求められたぢゃげなが、たうとうその一心の甲斐《かひ》あって、疾翔大力さまにめぐりあひ、つひにその尊い教を聴聞あって、天上へ行かしゃれた。その爾迦夷さまへのご説法ぢゃ。諦《あきらか》に聴け、諦に聴け。善《よ》く之《これ》を思念せよと。心をしづめてよく聴けよ、心をしづめてよく聴けよと斯《か》うぢゃ。いづれの説法の座でも、よくよく心をしづめ耳をすまして聴くことは大切なのぢゃ。上《うは》の空で聞いてゐたでは何にもならぬぢゃ。」
 ところがこのとき、さっきの喧嘩《けんくわ》をした二|疋《ひき》の子供のふくろふがもう説教を聴くのは厭《あ》きてお互にらめくらをはじめてゐました。そこは茂りあった枝のかげで、まっくらでしたが、二疋はどっちもあらんかぎりりんと眼を開いてゐましたので、ぎろぎろ燐《りん》を燃したやうに青く光りました。そこでたうとう二疋とも一ぺんに噴き出して一緒に、
「お前の眼は大きいねえ。」と云ひました。
 その声は幸《さいはひ》に少しつんぼの梟《ふくろふ》の坊さんには聞えませんでしたが、ほかの梟たちはみんなこっちを振り向きました。兄弟の穂吉といふ梟は、そこで大へんきまり悪く思ってもぢもぢしながら頭だけはじっと垂れてゐました。二疋はみんなのこっちを見るのを枝のかげになってかくれるやうにしながら、
「おい、もう遁《に》げて遊びに行かう。」
「どこへ。」
「実相寺の林さ。」
「行かうか。」
「うん、行かう。穂吉ちゃんも行かないか。」
「ううん。」穂吉は頭をふりました。
「我今|汝《なんぢ》に、梟鵄《けうし》
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