這《は》い、
鷹《たか》によく似た白い鳥が、
鋭《するど》く風を切って翔《か》けた。
楢ノ木大学士はそんなことには構わない。
まだどこまでも川を溯って行こうとする。
ところがとうとう夜になった。
今はもう河原の石ころも、
赤やら黒やらわからない。
「これはいけない。もう夜だ。寝《ね》なくちゃなるまい。今夜はずいぶん久しぶりで、愉快《ゆかい》な露天《ろてん》に寝るんだな。うまいぞうまいぞ。ところで草へ寝ようかな。かれ草でそれはたしかにいいけれども、寝ているうちに、野火にやかれちゃ一言《いちごん》もない。よしよし、この石へ寝よう。まるでね台だ。ふんふん、実に柔《やわ》らかだ。いい寝台《ねだい》だぞ。」
その石は実際柔らかで、
又《また》敷布《しきふ》のように白かった。
そのかわり又大学士が、
腕《うで》をのばして背嚢をぬぎ、
肱《ひじ》をまげて外套のまま、
ごろりと横になったときは、
外套のせなかに白い粉が、
まるで一杯についたのだ。
もちろん学士はそれを知らない。
又そんなこと知ったとこで、
あわてて起きあがる性質でもない。
水がその広い河原の、
向う岸近くをごうと流れ、
空の桔梗《ききょう》のうすあかりには、
山どもがのっきのっきと黒く立つ。
大学士は寝たままそれを眺《なが》め、
又ひとりごとを言い出した。
「ははあ、あいつらは岩頸《がんけい》だな。岩頸だ、岩頸だ。相違《そうい》ない。」
そこで大学士はいい気になって、
仰向《あおむ》けのまま手を振《ふ》って、
岩頸の講義をはじめ出した。
「諸君、手っ取り早く云《い》うならば、岩頸というのは、地殻《ちかく》から一寸《ちょっと》頸《くび》を出した太い岩石の棒である。その頸がすなわち一つの山である。ええ。一つの山である。ふん。どうしてそんな変なものができたというなら、そいつは蓋《けだ》し簡単だ。ええ、ここに一つの火山がある。熔岩《ようがん》を流す。その熔岩は地殻の深いところから太い棒になってのぼって来る。火山がだんだん衰《おとろ》えて、その腹の中まで冷えてしまう。熔岩の棒もかたまってしまう。それから火山は永い間に空気や水のために、だんだん崩《くず》れる。とうとう削《けず》られてへらされて、しまいには上の方がすっかり無くなって、前のかたまった熔岩の棒だけが、やっと残るというあんばいだ。この棒は大抵《たいてい》頸だけを出して、一つの山になっている。それが岩頸だ。ははあ、面白《おもしろ》いぞ、つまりそのこれは夢《ゆめ》の中のもやだ、もや、もや、もや、もや。そこでそのつまり、鼠《ねずみ》いろの岩頸だがな、その鼠いろの岩頸が、きちんと並《なら》んで、お互《たがい》に顔を見合せたり、ひとりで空うそぶいたりしているのは、大変おもしろい。ふふん。」
それは実際その通り、
向うの黒い四つの峯《みね》は、
四人兄弟の岩頸で、
だんだん地面からせり上って来た。
楢《なら》ノ木大学士の喜びようはひどいもんだ。
「ははあ、こいつらはラクシャンの四人兄弟だな。よくわかった。ラクシャンの四人兄弟だ。よしよし。」
注文通り岩頸は
丁度胸までせり出して
ならんで空に高くそびえた。
一番右は
たしかラクシャン第一子
まっ黒な髪《かみ》をふり乱し
大きな眼をぎろぎろ空に向け
しきりに口をぱくぱくして
何かどなっている様だが
その声は少しも聞えなかった。
右から二番目は
たしかにラクシャンの第二子だ。
長いあごを両手に載《の》せて睡《ねむ》っている。
次はラクシャン第三子
やさしい眼をせわしくまたたき
いちばん左は
ラクシャンの第|四子《しし》、末っ子だ。
夢のような黒い瞳《ひとみ》をあげて
じっと東の高原を見た。
楢ノ木大学士がもっとよく
四人を見ようと起き上ったら
俄《にわ》かにラクシャン第一子が
雷《かみなり》のように怒鳴《どな》り出した。
「何をぐずぐずしてるんだ。潰《つぶ》してしまえ。灼《や》いてしまえ。こなごなに砕《くだ》いてしまえ。早くやれっ。」
楢ノ木大学士はびっくりして
大急ぎで又横になり
いびきまでして寝たふりをし
そっと横目で見つづけた。
ところが今のどなり声は
大学士に云ったのでもなかったようだ。
なぜならラクシャン第一子は
やっぱり空へ向いたまま
素敵などなりを続けたのだ。
「全体何をぐずぐずしてるんだ。砕いちまえ、砕いちまえ、はね飛ばすんだ。はね飛ばすんだよ。火をどしゃどしゃ噴《ふ》くんだ。熔岩の用意っ。熔岩。早く。畜生《ちくしょう》。いつまでぐずぐずしてるんだ。熔岩、用意っ。もう二百万年たってるぞ。灰を降らせろ、灰を降らせろ。なぜ早く支度《したく》をしないか。」
しずかなラクシャン第三子が
兄をなだめて斯《こ》う云った。
「兄さん。少しおやすみなさい。こんなしずかな夕方じゃありませんか。」

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