ヶ月ばかりたって、とかげがなめくぢの立派なおうちへびっこをひいて来ました。そして
「なめくぢさん。今日は。お薬をすこし呉れませんか。」と云ひました。
「どうしたのです。」となめくぢは笑って聞きました。
「へびに噛《か》まれたのです。」ととかげが云ひました。
「そんならわけはありません。私《わたし》が一寸《ちょっと》そこを嘗《な》めてあげませう。わたしが嘗めれば蛇《へび》の毒はすぐ消えます。なにせ蛇さへ溶けるくらゐですからな。ハッハハ。」となめくぢは笑って云ひました。
「どうかお願ひ申します」ととかげは足を出しました。
「えゝ。よござんすとも。私《わたくし》とあなたとは云はば兄弟。あなたと蛇も兄弟ですね。ハッハハ。」となめくぢは云ひました。
 そしてなめくぢはとかげの傷に口をあてました。
「ありがたう。なめくぢさん。」ととかげは云ひました。
「も少しよく嘗めないとあとで大変ですよ。今度又来てももう直してあげませんよ。ハッハハ。」となめくぢはもがもが返事をしながらやはりとかげを嘗めつゞけました。
「なめくぢさん。何だか足が溶けたやうですよ。」ととかげはおどろいて云ひました。
「ハッハハ。なあに。それほどぢゃありません。ハッハハ。」となめくぢはやはりもがもが答へました。
「なめくぢさん。おなかが何だか熱くなりましたよ。」ととかげは心配して云ひました。
「ハッハハ。なあにそれほどぢゃありません。ハッハハ。」となめくぢはやはりもがもが答へました。
「なめくぢさん。からだが半分とけたやうですよ。もうよして下さい。」ととかげは泣き声を出しました。
「ハッハハ。なあにそれほどぢゃありません。ほんのも少しです。ハッハハ。」となめくぢが云ひました。
 それを聞いたとき、とかげはやっと安心しました。安心したわけはそのとき丁度心臓がとけたのです。
 そこでなめくぢはペロリととかげをたべました。そして途方もなく大きくなりました。
 あんまり大きくなったので嬉《うれ》しまぎれについあの蜘蛛《くも》をからかったのでした。
 そしてかへって蜘蛛からあざけられて、熱病を起して、毎日毎日、ようし、おれも大きくなるくらゐ大きくなったらこんどはきっと虫けら院の名誉議員になってくもが何か云ったときふうと息だけついて返事してやらうと云ってゐた。ところがこのころからなめくぢの評判はどうもよくなくなりました。
 なめくぢはいつでもハッハハと笑って、そしてヘラヘラした声で物を言ふけれども、どうも心がよくなくて蜘蛛《くも》やなんかよりは却《かへ》って悪いやつだといふのでみんなが軽べつをはじめました。殊に狸《たぬき》はなめくぢの話が出るといつでもヘンと笑って云ひました。
「なめくぢのやりくちなんてまづいもんさ。ぶま加減は見られたもんぢゃない。あんなやりかたで大きくなってもしれたもんだ。」
 なめくぢはこれを聞いていよいよ怒って早く名誉議員にならうとあせってゐた。そのうちに蜘蛛が腐敗して溶けて雨に流れてしまひましたので、なめくぢも少しせいせいしながら誰《たれ》か早く来るといゝと思ってせっかく待ってゐた。
 するとある日|雨蛙《あまがへる》がやって参りました。
 そして、
「なめくぢさん。こんにちは。少し水を呑《の》ませませんか。」と云ひました。
 なめくぢはこの雨蛙もペロリとやりたかったので、思ひ切っていゝ声で申しました。
「蛙さん。これはいらっしゃい。水なんかいくらでもあげますよ。ちかごろはひでりですけれどもなあに云はばあなたと私《わたくし》は兄弟。ハッハハ。」そして水がめの所へ連れて行きました。
 蛙はどくどくどくどく水を呑んでからとぼけたやうな顔をしてしばらくなめくぢを見てから云ひました。
「なめくぢさん。ひとつすまふをとりませうか。」
 なめくぢはうまいと、よろこびました。自分が云はうと思ってゐたのを蛙の方が云ったのです。こんな弱ったやつならば五へん投げつければ大ていペロリとやれる。
「とりませう。よっしょ。そら。ハッハハ。」かへるはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かへるは又投げつけられました。するとかへるは大へんあわててふところから塩のふくろを出して云ひました。
「土俵へ塩をまかなくちゃだめだ。そら。シュウ。」塩が白くそこらへちらばった。
 なめくぢが云ひました。
「かへるさん。こんどはきっと私《わたくし》なんかまけますね。あなたは強いんだもの。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」蛙はひどく投げつけられました。
 そして手足をひろげて青じろい腹を空に向けて死んだやうになってしまひました。銀色のなめくぢは、すぐペロリとやらうと、そっちへ進みましたがどうしたのか足がうごきません。見るともう足が半分とけてゐます。
「あ、やられた。塩だ。畜生。」となめくぢが云ひました。
 蛙はそれを聞くと、むっくり起きあがってあぐらをかいて、かばんのやうな大きな口を一ぱいにあけて笑ひました。そしてなめくぢにおじぎをして云ひました。
「いや、さよなら。なめくぢさん。とんだことになりましたね。」
 なめくぢが泣きさうになって、
「蛙《かへる》さん。さよ……。」と云ったときもう舌がとけました。雨蛙はひどく笑ひながら
「さよならと云ひたかったのでせう。本当にさよならさよなら。わたしもうちへ帰ってからたくさん泣いてあげますから。」と云ひながら一目散に帰って行った。
 さうさうこのときは丁度秋に蒔《ま》いた蕎麦《そば》の花がいちめん白く咲き出したときであの眼の碧《あを》いすがるの群はその四っ角な畑いっぱいうすあかい幹の間をくぐったり花のついたちひさな枝をぶらんこのやうにゆすぶったりしながら今年の終りの蜜《みつ》をせっせと集めて居りました。

      三、顔を洗はない狸。

 狸《たぬき》はわざと顔を洗はなかったのだ。丁度|蜘蛛《くも》が林の入口の楢《なら》の木に、二銭銅貨位の巣をかけた時、じぶんのうちのお寺へ帰ってゐたけれども、やっぱりすっかりお腹が空《す》いて一本の松の木によりかかって目をつぶってゐました。すると兎《うさぎ》がやって参りました。
「狸さま。かうひもじくては全く仕方ございません。もう死ぬだけでございます。」
 狸がきもののえりを掻《か》き合せて云ひました。
「さうぢゃ。みんな往生ぢゃ。山猫《やまねこ》大明神さまのおぼしめしどほりぢゃ。な。なまねこ。なまねこ。」
 兎も一緒に念猫《ねんねこ》をとなへはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」
 狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどほりになるのぢゃ。なまねこ。なまねこ。」と云ひながら兎の耳をかじりました。兎はびっくりして叫びました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいぢゃありませんか。」
 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
「なまねこ、なまねこ、世の中のことはな、みんな山猫さまのおぼしめしのとほりぢゃ。おまへの耳があんまり大きいのでそれをわしに噛《かじ》って直せといふのは何といふありがたいことぢゃ。なまねこ。」と云ひながら、たうとう兎の両方の耳をたべてしまひました。
 兎もさうきいてゐると、たいへんうれしくてボロボロ涙をこぼして云ひました。
「なまねこ、なまねこ。あゝありがたい、山猫さま。私《わたし》のやうなつまらないものを耳のことまでご心配くださいますとはありがたいことでございます。助かりますなら耳の二つやそこらなんでもございませぬ。なまねこ。」
 狸《たぬき》もそら涙をボロボロこぼして
「なまねこ、なまねこ、こんどは兎《うさぎ》の脚をかじれとはあんまりはねるためでございませうか。はいはい、かじりますかじりますなまねこなまねこ。」と云ひながら兎のあとあしをむにゃむにゃ食べました。
 兎はますますよろこんで、
「あゝありがたや、山猫《やまねこ》さま。おかげでわたくしは脚がなくなってもう歩かなくてもよくなりました。あゝありがたいなまねこなまねこ。」
 狸はもうなみだで身体《からだ》もふやけさうに泣いたふりをしました。
「なまねこ、なまねこ。みんなおぼしめしのとほりでございます。わたしのやうなあさましいものでも、命をつないでお役にたてと仰《おっしゃ》られますか。はい、はい、これも仕方はございませぬ、なまねこなまねこ。おぼしめしのとほりにいたしまする。むにゃむにゃ。」
 兎はすっかりなくなってしまひました。
 そして狸のおなかの中で云ひました。
「すっかりだまされた。お前の腹の中はまっくろだ。あゝくやしい。」
 狸は怒って云ひました。
「やかましい。はやく溶けてしまへ。」
 兎はまた叫びました。
「みんな狸にだまされるなよ。」
 狸は眼をぎろぎろして外へ聞えないやうにしばらくの間口をしっかり閉ぢてそれから手で鼻をふさいでゐました。
 それから丁度二ヶ月たちました。ある日、狸は自分の家《うち》で、例のとほりありがたいごきたうをしてゐますと、狼《おほかみ》が籾《もみ》を三升さげて来て、どうかお説教をねがひますと云ひました。
 そこで狸は云ひました。
「お前はものの命をとったことは、五百や千では利くまいな。生きとし生けるものならばなにとて死にたいものがあらう。な。それをおまへは食ったのぢゃ。な。早くざんげさっしゃれ。でないとあとでえらい責苦にあふことぢゃぞよ。おゝ恐ろしや。なまねこ。なまねこ。」
 狼はすっかりおびえあがって、しばらくきょろきょろしながらたづねました。
「そんならどうしたらいゝでせう。」
 狸が云ひました。
「わしは山ねこさまのお身代りぢゃで、わしの云ふとほりさっしゃれ。なまねこ。なまねこ。」
「どうしたらようございませう。」と狼があわててききました。狸が云ひました。
「それはな。じっとしてゐさしゃれ。な。わしはお前のきばをぬくぢゃ。このきばでいかほどものの命をとったか。恐ろしいことぢゃ。な。お前の目をつぶすぢゃ。な。この目で何ほどのものをにらみ殺したか、恐ろしいことぢゃ。それから。なまねこ、なまねこ、なまねこ。お前のみゝを一寸《ちょっと》かじるぢゃ。これは罰ぢゃ。なまねこ。なまねこ。こらへなされ。お前のあたまをかじるぢゃ。むにゃ、むにゃ。なまねこ。この世の中は堪忍が大事ぢゃ。なま……。むにゃむにゃ。お前のあしをたべるぢゃ。なかなかうまい。なまねこ。むにゃ。むにゃ。おまへのせなかを食ふぢゃ。ここもうまい。むにゃむにゃむにゃ。」
 たうとう狼《おほかみ》はみんな食はれてしまひました。
 そして狸《たぬき》のはらの中で云ひました。
「こゝはまっくらだ。あゝ、こゝに兎《うさぎ》の骨がある。誰《たれ》が殺したらう。殺したやつはあとで狸に説教されながらかじられるだらうぜ。」
 狸はやかましいやかましい蓋《ふた》をしてやらう。と云ひながら狼の持って来た籾《もみ》を三升風呂敷のまゝ呑《の》みました。
 ところが狸は次の日からどうもからだの工合《ぐあひ》がわるくなった。どういふわけか非常に腹が痛くて、のどのところへちくちく刺さるものがある。
 はじめは水を呑んだりしてごまかしてゐたけれども一日一日それが烈《はげ》しくなってきてもう居ても立ってもゐられなくなった。たうとう狼をたべてから二十五日めに狸はからだがゴム風船のやうにふくらんでそれからボローンと鳴って裂けてしまった。
 林中のけだものはびっくりして集って来た。見ると狸のからだの中は稲の葉でいっぱいでした。あの狼の下げて来た籾が芽を出してだんだん大きくなったのだ。
 洞熊《ほらくま》先生も少し遅れて来て見ました。そしてあゝ三人とも賢いいゝこどもらだったのにじつに残念なことをしたと云ひながら大きなあくびをしました。
 このときはもう冬のはじまりであの眼の碧《あを》い蜂《はち》の群はもうみんなめいめいの蝋《らふ》でこさへた六角形の巣にはひって次の春の夢を見ながらしづかに睡《ねむ》って居りました。



底本:「新修宮沢賢治全集 第十一巻」筑摩書房
  
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