洞熊学校を卒業した三人
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)蜘蛛《くも》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)二百|疋《ぴき》
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          ※

 赤い手の長い蜘蛛《くも》と、銀いろのなめくぢと、顔を洗ったことのない狸《たぬき》が、いっしょに洞熊《ほらくま》学校にはひりました。洞熊先生の教へることは三つでした。
 一年生のときは、うさぎと亀《かめ》のかけくらのことで、も一つは大きいものがいちばん立派だといふことでした。それから三人はみんな一番にならうと一生けん命競争しました。一年生のときは、なめくぢと狸がしじゅう遅刻して罰を食ったために蜘蛛が一番になった。なめくぢと狸とは泣いて口惜《くや》しがった。二年生のときは、洞熊先生が点数の勘定を間違ったために、なめくぢが一番になり蜘蛛と狸とは歯ぎしりしてくやしがった。三年生の試験のときは、あんまりあたりが明るいために洞熊先生が涙をこぼして眼《め》をつぶってばかりゐたものですから、狸は本を見て書きました。そして狸が一番になりました。そこで赤い手長の蜘蛛と、銀いろのなめくぢと、それから顔を洗ったことのない狸が、一しょに洞熊学校を卒業しました。三人は上べは大へん仲よさうに、洞熊先生を呼んで謝恩会といふことをしたりこんどはじぶんらの離別会といふことをやったりしましたけれども、お互にみな腹のなかでは、へん、あいつらに何ができるもんか、これから誰《たれ》がいちばん大きくえらくなるか見てゐろと、そのことばかり考へてをりました。さて会も済んで三人はめいめいじぶんのうちに帰っていよいよ習ったことをじぶんでほんたうにやることになりました。洞熊先生の方もこんどはどぶ鼠《ねずみ》をつかまへて学校に入れようと毎日追ひかけて居《を》りました。
 ちゃうどそのときはかたくりの花の咲くころで、たくさんのたくさんの眼の碧《あを》い蜂《はち》の仲間が、日光のなかをぶんぶんぶんぶん飛び交ひながら、一つ一つの小さな桃いろの花に挨拶《あいさつ》して蜜《みつ》や香料を貰《もら》ったり、そのお礼に黄金《きん》いろをした円い花粉をほかの花のところへ運んでやったり、あるいは新らしい木の芽からいらなくなった蝋《らふ》を集めて六角形の巣を築いたりもういそがしくにぎやかな春の入口になってゐました。

      一、蜘蛛はどうしたか。

 蜘蛛は会の済んだ晩方じぶんのうちの森の入口の楢《なら》の木に帰って来ました。
 ところが蜘蛛はもう洞熊学校でお金をみんなつかってゐましたからもうなにひとつもってゐませんでした。そこでひもじいのを我慢して、ぼんやりしたお月様の光で網をかけはじめた。
 あんまりひもじくてからだの中にはもう糸もない位であった。けれども蜘蛛は
「いまに見ろ、いまに見ろ」と云《い》ひながら、一生けん命糸をたぐり出して、やっと小さな二銭銅貨位の網をかけた。そして枝のかげにかくれてひとばん眼をひからして網をのぞいてゐた。
 夜あけごろ、遠くから小さなこどものあぶがくうんとうなってやって来て網につきあたった。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、子どものあぶはすぐ糸を切って飛んで行かうとした。
 蜘蛛《くも》はまるできちがひのやうに、枝のかげから駆け出してむんずとあぶに食ひついた。
 あぶの子どもは「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」と哀れな声で泣いたけれども、蜘蛛は物も云はずに頭から羽からあしまで、みんな食ってしまった。そしてほっと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、又少し糸をはいた。そして網が一まはり大きくなった。
 蜘蛛はまた枝のかげに戻って、六つの眼をギラギラ光らせながらじっと網をみつめて居た。
「ここはどこでござりまするな。」と云ひながらめくらのかげろふが杖《つゑ》をついてやって来た。
「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云った。
 かげろふはやれやれといふやうに、巣へ腰をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして
「さあ、お茶をおあがりなさい。」と云ひながらいきなりかげろふの胴中に噛《か》みつきました。
 かげろふはお茶をとらうとして出した手を空にあげて、バタバタもがきながら、
「あはれやむすめ、父親が、
 旅で果てたと聞いたなら」と哀れな声で歌ひ出しました。
「えい。やかましい。じたばたするな。」と蜘蛛が云ひました。するとかげろふは手を合せて
「お慈悲でございます。遺言のあひだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」とねがひました。
 蜘蛛もすこし哀れになって
「よし早くやれ。」といってかげろふの足をつかんで待ってゐました。かげろふはほんたうにあはれな細い声ではじめから歌ひ直しました。
「あはれやむすめちゝおやが、
 旅ではてたと聞いたなら、
 ちさいあの手に白手甲、
 いとし巡礼《じゅんれ》の雨とかぜ。
 まうしご冥加《みゃうが》ご報謝と、
 かどなみなみに立つとても、
 非道の蜘蛛の網ざしき、
 さはるまいぞや。よるまいぞ。」
「小しゃくなことを。」と蜘蛛はたゞ一息に、かげろふを食ひ殺してしまひました。そしてしばらくそらを向いて、腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて
「小しゃくなことを言ふまいぞ。」とふざけたやうに歌ひながら又糸をはきました。
 網は三まはり大きくなって、もう立派なかうもりがさのやうな巣だ。蜘蛛はすっかり安心して、又葉のかげにかくれました。その時下の方でいゝ声で歌ふのをききました。
「赤いてながのくぅも、
 天のちかくをはひまはり、
 スルスル光のいとをはき、
 きぃらりきぃらり巣をかける。」
 見るとそれはきれいな女の蜘蛛《くも》でした。
「こゝへおいで」と手長の蜘蛛が云って糸を一本すうっとさげてやりました。
 女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二人は夫婦になりました。網には毎日沢山食べるものがかゝりましたのでおかみさんの蜘蛛は、それを沢山たべてみんな子供にしてしまひました。そこで子供が沢山生まれました。所がその子供らはあんまり小さくてまるですきとほる位です。
 子供らは網の上ですべったり、相撲《すまふ》をとったり、ぶらんこをやったり、それはそれはにぎやかです。おまけにある日とんぼが来て今度蜘蛛を虫けら会の副会長にするといふみんなの決議をつたへました。
 ある日夫婦のくもは、葉のかげにかくれてお茶をのんでゐますと、下の方でへらへらした声で歌ふものがあります。
「あぁかい手ながのくぅも、
 できたむすこは二百|疋《ぴき》、
 めくそ、はんかけ、蚊のなみだ、
 大きいところで稗《ひえ》のつぶ。」
 見るとそれはいつのまにかずっと大きくなったあの銀色のなめくぢでした。
 蜘蛛のおかみさんはくやしがって、まるで火がついたやうに泣きました。
 けれども手長の蜘蛛は云ひました。
「ふん、あいつはちかごろ、おれをねたんでるんだ。やい、なめくぢ。おれは今度は虫けら会の副会長になるんだぞ。へっ。くやしいか。へっ。てまへなんかいくらからだばかりふとっても、こんなことはできまい。へっへっ。」
 なめくぢはあんまりくやしくて、しばらく熱病になって、
「うう、くもめ、よくもぶじょくしたな。うう。くもめ。」といってゐました。
 網は時々風にやぶれたりごろつきのかぶとむしにこはされたりしましたけれどもくもはすぐすうすう糸をはいて修繕しました。
 二百疋の子供は百九十八疋まで蟻《あり》に連れて行かれたり、行衛《ゆくゑ》不明になったり、赤痢にかかったりして死んでしまひました。
 けれども子供らは、どれもあんまりお互ひに似てゐましたので、親ぐもはすぐ忘れてしまひました。
 そして今はもう網はすばらしいものです。虫がどんどんひっかゝります。
 ある日夫婦の蜘蛛《くも》は、葉のかげにかくれてまた茶をのんでゐますと、一疋の旅の蚊がこっちへ飛んで来て、それから網を見てあわてて飛び戻って行った。くもは三あしばかりそっちへ出て行ってあきれたやうにそっちを見送った。
 すると下の方で大きな笑ひ声がしてそれから太い声で歌ふのが聞えました。
「あぁかいてながのくぅも、
 てながの赤いくも
 あんまり網がまづいので、
 八千二百里旅の蚊も、
 くうんとうなってまはれ右。」
 見るとそれは顔を洗ったことのない狸《たぬき》でした。蜘蛛はキリキリキリッとはがみをして云ひました。
「何を。狸め。おれはいまに虫けら会の会長になってきっときさまにおじぎをさせて見せるぞ。」
 それからは蜘蛛は、もう一生けん命であちこちに十も網をかけたり、夜も見はりをしたりしました。ところが諸君困ったことには腐敗したのだ。食物があんまりたまって、腐敗したのです。そして蜘蛛の夫婦と子供にそれがうつりました。そこで四人《よったり》は足のさきからだんだん腐れてべとべとになり、ある日たうとう雨に流れてしまひました。
 ちゃうどそのときはつめくさの花のさくころで、あの眼の碧《あを》い蜂《はち》の群は野原ぢゅうをもうあちこちにちらばって一つ一つの小さなぼんぼりのやうな花から火でももらふやうにして蜜《みつ》を集めて居りました。

      二、銀色のなめくぢはどうしたか。

 丁度蜘蛛が林の入口の楢《なら》の木に、二銭銅貨の位の網をかけた頃、銀色のなめくぢの立派なうちへかたつむりがやって参りました。
 その頃《ころ》なめくぢは学校も出たし人がよくて親切だといふもう林中の評判だった。かたつむりは
「なめくぢさん。今度は私《わたし》もすっかり困ってしまひましたよ。まだわたしの食べるものはなし、水はなし、すこしばかりお前さんのうちにためてあるふきのつゆを呉《く》れませんか。」と云ひました。
 するとなめくぢが云ひました。
「あげますともあげますとも、さあ、おあがりなさい。」
「あゝありがたうございます。助かります。」と云ひながらかたつむりはふきのつゆをどくどくのみました。
「もっとおあがりなさい。あなたと私《わたくし》とは云はば兄弟。ハッハハ。さあ、さあ、も少しおあがりなさい。」となめくぢが云ひました。
「そんならも少しいたゞきます。あゝありがたうございます。」と云ひながらかたつむりはも少しのみました。
「かたつむりさん。気分がよくなったら一つひさしぶりで相撲《すまふ》をとりませうか。ハッハハ。久しぶりです。」となめくぢが云ひました。
「おなかがすいて力がありません。」とかたつむりが云ひました。
「そんならたべ物をあげませう。さあ、おあがりなさい。」となめくぢはあざみの芽やなんか出しました。
「ありがたうございます。それではいたゞきます。」といひながらかたつむりはそれを喰べました。
「さあ、すまふをとりませう。ハッハハ。」となめくぢがもう立ちあがりました。かたつむりも仕方なく、
「私《わたし》はどうも弱いのですから強く投げないで下さい。」と云ひながら立ちあがりました。
「よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ」
「もうつかれてだめです。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もうだめです。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ、そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もうだめ。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。よっしょ。そら。ハッハハ。」かたつむりはひどく投げつけられました。
「もう一ぺんやりませう。ハッハハ。」
「もう死にます。さよなら。」
「まあもう一ぺんやりませうよ。ハッハハ。さあ。お立ちなさい。起こしてあげませう。よっしょ。そら。ヘッヘッヘ。」かたつむりは死んでしまひました。そこで銀色のなめくぢはかたつむりを殻ごとみしみし喰べてしまひました。
 それから一
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