、やられた。塩だ。畜生。」となめくぢが云ひました。
 蛙はそれを聞くと、むっくり起きあがってあぐらをかいて、かばんのやうな大きな口を一ぱいにあけて笑ひました。そしてなめくぢにおじぎをして云ひました。
「いや、さよなら。なめくぢさん。とんだことになりましたね。」
 なめくぢが泣きさうになって、
「蛙《かへる》さん。さよ……。」と云ったときもう舌がとけました。雨蛙はひどく笑ひながら
「さよならと云ひたかったのでせう。本当にさよならさよなら。わたしもうちへ帰ってからたくさん泣いてあげますから。」と云ひながら一目散に帰って行った。
 さうさうこのときは丁度秋に蒔《ま》いた蕎麦《そば》の花がいちめん白く咲き出したときであの眼の碧《あを》いすがるの群はその四っ角な畑いっぱいうすあかい幹の間をくぐったり花のついたちひさな枝をぶらんこのやうにゆすぶったりしながら今年の終りの蜜《みつ》をせっせと集めて居りました。

      三、顔を洗はない狸。

 狸《たぬき》はわざと顔を洗はなかったのだ。丁度|蜘蛛《くも》が林の入口の楢《なら》の木に、二銭銅貨位の巣をかけた時、じぶんのうちのお寺へ帰ってゐたけれども、やっぱりすっかりお腹が空《す》いて一本の松の木によりかかって目をつぶってゐました。すると兎《うさぎ》がやって参りました。
「狸さま。かうひもじくては全く仕方ございません。もう死ぬだけでございます。」
 狸がきもののえりを掻《か》き合せて云ひました。
「さうぢゃ。みんな往生ぢゃ。山猫《やまねこ》大明神さまのおぼしめしどほりぢゃ。な。なまねこ。なまねこ。」
 兎も一緒に念猫《ねんねこ》をとなへはじめました。
「なまねこ、なまねこ、なまねこ、なまねこ。」
 狸は兎の手をとってもっと自分の方へ引きよせました。
「なまねこ、なまねこ、みんな山猫さまのおぼしめしどほりになるのぢゃ。なまねこ。なまねこ。」と云ひながら兎の耳をかじりました。兎はびっくりして叫びました。
「あ痛っ。狸さん。ひどいぢゃありませんか。」
 狸はむにゃむにゃ兎の耳をかみながら、
「なまねこ、なまねこ、世の中のことはな、みんな山猫さまのおぼしめしのとほりぢゃ。おまへの耳があんまり大きいのでそれをわしに噛《かじ》って直せといふのは何といふありがたいことぢゃ。なまねこ。」と云ひながら、たうとう兎の両方の耳をたべてしまひました。

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