蜘蛛となめくじと狸
宮沢賢治

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)山猫《やまねこ》が申しました

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)毎日|沢山《たくさん》食べるものが
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 蜘蛛と、銀色のなめくじとそれから顔を洗ったことのない狸とはみんな立派な選手でした。
 けれども一体何の選手だったのか私はよく知りません。
 山猫《やまねこ》が申しましたが三人はそれはそれは実に本気の競争をしていたのだそうです。
 一体何の競争をしていたのか、私は三人がならんでかける所も見ませんし学校の試験で一番二番三番ときめられたことも聞きません。
 一体何の競争をしていたのでしょう、蜘蛛は手も足も赤くて長く、胸には「ナンペ」と書いた蜘蛛文字のマークをつけていましたしなめくじはいつも銀いろのゴムの靴《くつ》をはいていました。又《また》狸は少しこわれてはいましたが運動シャッポをかぶっていました。
 けれどもとにかく三人とも死にました。
 蜘蛛は蜘蛛暦《くもれき》三千八百年の五月に没《な》くなり銀色のなめくじがその次の年、狸が又その次の年死にました。三人の伝記をすこしよく調べて見ましょう。

   一、赤い手長の蜘蛛

 蜘蛛の伝記のわかっているのは、おしまいの一ヶ年間だけです。
 蜘蛛は森の入口《いりくち》の楢《なら》の木に、どこからかある晩、ふっと風に飛ばされて来てひっかかりました。蜘蛛はひもじいのを我慢《がまん》して、早速《さっそく》お月様の光をさいわいに、網《あみ》をかけはじめました。
 あんまりひもじくておなかの中にはもう糸がない位でした。けれども蜘蛛は
「うんとこせうんとこせ」と云《い》いながら、一生けん命糸をたぐり出して、それはそれは小さな二銭銅貨位の網をかけました。
 夜あけごろ、遠くから蚊《か》がくうんとうなってやって来て網につきあたりました。けれどもあんまりひもじいときかけた網なので、糸に少しもねばりがなくて、蚊はすぐ糸を切って飛んで行こうとしました。
 蜘蛛はまるできちがいのように、葉のかげから飛び出してむんずと蚊に食いつきました。
 蚊は「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」と哀《あわ》れな声で泣きましたが、蜘蛛は物も云わずに頭から羽からあしまで、みんな食ってしまいました。そしてホッと息をついてしばらくそらを向いて腹をこすってから、又少し糸をはきました。そして網が一まわり大きくなりました。
 蜘蛛はそして葉のかげに戻《もど》って、六つの眼《め》をギラギラ光らせてじっと網をみつめて居《お》りました。
「ここはどこでござりまするな。」と云いながらめくらのかげろうが杖《つえ》をついてやって参りました。
「ここは宿屋ですよ。」と蜘蛛が六つの眼を別々にパチパチさせて云いました。
 かげろうはやれやれというように、巣《す》へ腰《こし》をかけました。蜘蛛は走って出ました。そして
「さあ、お茶をおあがりなさい。」と云いながらかげろうの胴中《どうなか》にむんずと噛《か》みつきました。
 かげろうはお茶をとろうとして出した手を空にあげて、バタバタもがきながら、
「あわれやむすめ、父親が、
 旅で果てたと聞いたなら」
と哀れな声で歌い出しました。
「えい。やかましい。じたばたするな。」と蜘蛛が云いました。するとかげろうは手を合せて
「お慈悲《じひ》でございます。遺言《ゆいごん》のあいだ、ほんのしばらくお待ちなされて下されませ。」とねがいました。
 蜘蛛もすこし哀れになって
「よし早くやれ。」といってかげろうの足をつかんで待っていました。かげろうはほんとうにあわれな細い声ではじめから歌い直しました。
「あわれやむすめちちおやが、
 旅ではてたと聞いたなら、
 ちさいあの手に白手甲《しろてこう》、
 いとし巡礼《じゅんれ》の雨とかぜ。
 もうしご冥加《みょうが》ご報謝と、
 かどなみなみに立つとても、
 非道の蜘蛛の網ざしき、
 さわるまいぞや。よるまいぞ。」
「小しゃくなことを。」と蜘蛛はただ一息に、かげろうを食い殺してしまいました。そしてしばらくそらを向いて、腹をこすってからちょっと眼をぱちぱちさせて
「小しゃくなことを言うまいぞ。」とふざけたように歌いながら又糸をはきました。
 網は三まわり大きくなって、もう立派な蜘蛛の巣です。蜘蛛はすっかり安心して、又葉のかげにかくれました。その時下の方でいい声で歌うのをききました。
「赤いてながのくぅも、
 天のちかくをはいまわり、
 スルスル光のいとをはき、
 きぃらりきぃらり巣をかける。」
 見るとそれはきれいな女の蜘蛛でした。
「ここへおいで。」と手長の蜘蛛が云って糸を一本すうっとさげてやりました。
 女の蜘蛛がすぐそれにつかまってのぼって来ました。そして二
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