みました。五六つぶを名残《なご》りに落してすばやく引きあげて行ったという風でした。そして陽《ひ》がさっと落ちて来ました。見上げますと白い雲のきれ間から大きな光る太陽が走って出ていたのです。私どもは思わず歓呼の声をあげました。楢や柏の葉もきらきら光ったのです。
「おい、ここはどの辺だか見て置かないと今度来るときわからないよ。」慶次郎が言いました。
「うん。それから去年のもさがして置かないと。兄さんにでも来て貰《もら》おうか。あしたは来れないし。」
「あした学校を下《さが》ってからでもいいじゃないか。」慶次郎は私の兄さんには知らせたくない風でした。
「帰りに暗くなるよ。」
「大丈夫さ。とにかくさがして置こう。崖はじきだろうか。」
私たちは籠はそこへ置いたまま崖の方へ歩いて行きました。そしたらまだまだと思っていた崖がもうすぐ眼の前に出ましたので私はぎくっとして手をひろげて慶次郎の来るのをとめました。
「もう崖だよ。あぶない。」
慶次郎ははじめて崖を見たらしくいかにもどきっとしたらしくしばらくなんにも云いませんでした。
「おい、やっぱり、すると、あすこは去年のところだよ。」私は言いました。
「うん。」慶次郎は少しつまらないというようにうなずきました。
「もう帰ろうか。」私は云いました。
「帰ろう。あばよ。」と慶次郎は高く向うのまっ赤な崖に叫びました。
「あばよ。」崖からこだまが返って来ました。
私はにわかに面白《おもしろ》くなって力一ぱい叫びました。
「ホウ、居たかぁ。」
「居たかぁ。」崖がこだまを返しました。
「また来るよ。」慶次郎が叫びました。
「来るよ。」崖が答えました。
「馬鹿。」私が少し大胆《だいたん》になって悪口をしました。
「馬鹿。」崖も悪口を返しました。
「馬鹿野郎。」慶次郎が少し低く叫びました。
ところがその返事はただごそごそごそっとつぶやくように聞えました。どうも手がつけられないと云ったようにも又そんなやつらにいつまでも返事していられないなと自分ら同志で相談したようにも聞えました。
私どもは顔を見合せました。それから俄《にわ》かに恐《こわ》くなって一緒に崖をはなれました。
それから籠を持ってどんどん下りました。二人ともだまってどんどん下りました。雫ですっかりぬればらや何かに引っかかれながらなんにも云わずに私どもはどんどんどんどん遁《に》げました。遁げれば遁げるほどいよいよ恐くなったのです。うしろでハッハッハと笑うような声もしたのです。
ですから次の年はとうとう私たちは兄さんにも話して一緒にでかけたのです。
底本:「新編風の又三郎」新潮文庫、新潮社
1989(平成元)年2月25日発行
1989(平成元)年6月10日2刷
入力:蒋龍
校正:noriko saito
2008年10月23日作成
青空文庫作成ファイル:
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