かずに三分ばかり咽喉を鳴らして呑んでからやっと顔をあげて一寸《ちょっと》眼をパチパチ云わせてそれからブルルッと頭をふって水を払《はら》いました。
 その時向うから暴《あら》い声の歌が又《また》聞えて参りました。大烏は見る見る顔色を変えて身体《からだ》を烈《はげ》しくふるわせました。
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「みなみのそらの、赤眼のさそり
 毒ある鉤《かぎ》と 大きなはさみを
 知らない者は 阿呆鳥《あほうどり》。」
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 そこで大烏が怒って云いました。
「蠍星《さそりぼし》です。畜生《ちくしょう》。阿呆鳥だなんて人をあてつけてやがる。見ろ。ここへ来たらその赤眼を抜《ぬ》いてやるぞ。」
 チュンセ童子が
「大烏さん。それはいけないでしょう。王様がご存じですよ。」という間もなくもう赤い眼の蠍星が向うから二つの大きな鋏《はさみ》をゆらゆら動かし長い尾をカラカラ引いてやって来るのです。その音はしずかな天の野原中にひびきました。
 大烏はもう怒ってぶるぶる顫《ふる》えて今にも飛びかかりそうです。双子の星は一生けん命手まねでそれを押《おさ》えました。
 蠍は大烏を尻眼《しりめ》にかけてもう泉のふち迄《まで》這《は》って来て云いました。
「ああ、どうも咽喉《のど》が乾いてしまった。やあ双子さん。今日は。ご免なさい。少し水を呑んでやろうかな。はてな、どうもこの水は変に土臭《つちくさ》いぞ。どこかのまっ黒な馬鹿ァが頭をつっ込んだと見える。えい。仕方ない。我慢《がまん》してやれ。」
 そして蠍は十分ばかりごくりごくりと水を呑みました。その間も、いかにも大烏を馬鹿にする様に、毒の鉤のついた尾をそちらにパタパタ動かすのです。
 とうとう大烏は、我慢し兼ねて羽をパッと開いて叫《さけ》びました。
「こら蠍。貴様はさっきから阿呆鳥だの何だのと俺《おれ》の悪口を云ったな。早くあやまったらどうだ。」
 蠍がやっと水から頭をはなして、赤い眼をまるで火が燃えるように動かしました。
「へん。誰《たれ》か何か云ってるぜ。赤いお方だろうか。鼠色《ねずみいろ》のお方だろうか。一つ鉤をお見舞《みまい》しますかな。」
 大烏はかっとして思わず飛びあがって叫びました。
「何を。生意気な。空の向う側へまっさかさまに落してやるぞ。」
 蠍も怒って大きなからだをすばやくひねって尾の鉤を空に突《つ》き上げました。大烏は飛びあがってそれを避《さ》け今度はくちばしを槍《やり》のようにしてまっすぐに蠍の頭をめがけて落ちて来ました。
 チュンセ童子もポウセ童子もとめるすきがありません。蠍は頭に深い傷を受け、大烏は胸を毒の鉤でさされて、両方ともウンとうなったまま重なり合って気絶してしまいました。
 蠍の血がどくどく空に流れて、いやな赤い雲になりました。
 チュンセ童子が急いで沓《くつ》をはいて、申しました。
「さあ大変だ。大烏には毒がはいったのだ。早く吸いとってやらないといけない。ポウセさん。大烏をしっかり押えていて下さいませんか。」
 ポウセ童子も沓をはいてしまっていそいで大烏のうしろにまわってしっかり押えました。チュンセ童子が大烏の胸の傷口に口をあてました。ポウセ童子が申しました。
「チュンセさん。毒を呑んではいけませんよ。すぐ吐き出してしまわないといけませんよ。」
 チュンセ童子が黙《だま》って傷口から六|遍《ぺん》ほど毒のある血を吸ってはき出しました。すると大烏がやっと気がついて、うすく目を開いて申しました。
「あ、どうも済みません。私はどうしたのですかな。たしか野郎をし止めたのだが。」
 チュンセ童子が申しました。
「早く流れでその傷口をお洗いなさい。歩けますか。」
 大烏はよろよろ立ちあがって蠍を見て又|身体《からだ》をふるわせて云いました。
「畜生。空の毒虫め。空で死んだのを有り難《がた》いと思え。」
 二人は大烏を急いで流れへ連れて行きました。そして奇麗《きれい》に傷口を洗ってやって、その上、傷口へ二三度|香《かぐわ》しい息を吹きかけてやって云いました。
「さあ、ゆるゆる歩いて明るいうちに早くおうちへお帰りなさい。これからこんな事をしてはいけません。王様はみんなご存じですよ。」
 大烏はすっかり悄気《しょげ》て翼《つばさ》を力なく垂れ、何遍もお辞儀をして
「ありがとうございます。ありがとうございます。これからは気をつけます。」と云いながら脚《あし》を引きずって銀のすすきの野原を向うへ行ってしまいました。
 二人は蠍を調べて見ました。頭の傷はかなり深かったのですがもう血がとまっています。二人は泉の水をすくって、傷口にかけて奇麗に洗いました。そして交《かわ》る交《がわ》るふっふっと息をそこへ吹き込みました。
 お日様が丁度空のまん中においでになった頃《ころ》蠍は
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