ふの岸の方にうつらう。
「先生この岩何す。」千葉だな。お父さんによく似てゐる。〔何に似てます。何でできてますか。〕だまってゐる。〔わかりませんか。礫岩《れきがん》です。礫岩です。凝灰質礫岩。〕
 及川だな。〔いゝですか。これは温泉の作用ですよ。この裂け目を通った温泉のために凝灰岩が変質を受けたんです。〕
 みんなわかるんだな。これは。向ふにも一つ滝があるらしい。うすぐろい岩の。みんなそこまで行かうと云ふのか。草原があって春木も積んである。ずゐぶん溯《のぼ》ったぞ。こゝは小さな段だ。
「あゝ云ふ岩のすき間のごと何て云ふのだたべな。習ったたんとも。」
〔やっぱり裂け目です。裂け目でいゝんです。〕習ったといふのは節理だな。節理なら多面節理、これを節理と云ふわけにはいかない。裂罅《れっか》だ。やっぱり裂け目でいゝんだ。
 壷穴《つぼあな》のいゝのがなくて困るな。少し細長いけれどもこれで説明しようか。elongated pot−hole〔こゝがどうしてかう掘れるかわかりますか。石ころ、礫《こいし》がこれを掘るのです。そら、水のために礫がごろごろするでせう。だんだん岩を掘るでせう。深いところが一層深くなる筈《はず》です。もっと大きなのもあります。〕
 日光の波日光の波、光の網と、水の網。
「ほこの穴こまん円けぢゃ。先生。」
 あゝいゝ、これはいゝ標本だ。こいつなら持って来いだ。
〔さあ、見て下さい。これはいゝ標本です。そら。この中に石ころが入ってませう。みんな円くなってるでせう。水ががりがり擦《こす》ったんです。そら。〕
 実にいゝ礫だ。まっ白だ。まん円だ水でぬれてゐる。取ってしまった。誰《たれ》かが又|掻《か》き廻す。もうない。あとは茶色だし少し角もある。あゝいゝな。こんなありがたい。
 あんまり溯る。もう帰らう。校長もあの路の岐《わか》れ目で待ってゐる。
〔ほお。戻れ。ほお。〕向ふの崖《がけ》は明るいし声はよく出ない。聞えないやうだ。市野川やぐんぐんのぼって行く。〔ほお、〕「戻れど。お。」「戻れ。」
 向いた向いた。一人向けばもういゝ。川を戻るよりはこゝからさっきの道へのぼった方がいゝ、傾斜もゆるく丁度のぼれさうだ。〔みんなそこからあの道へ出ろ。〕
 手を振った方がわかるな。わかったわかったわかったやうだ。市の川が崖の上のみちを見てゐる。
 うしろの滝の上で誰か叫んでゐる。大竹だ。「おら荷物置いで来たがらこっちがら行ぐ。」よからう。〔よおし。〕もう大竹が滝をおりて行く。すばやいやつだ。二三人又ついて行く。それからも一人おくれてひどく心配さうに背中をかゞめて下りて行く。斉藤《さいとう》貞一かな。一寸《ちょっと》こっちを見たところには栗鼠《りす》の軽さもある。ほんたうに心配なんだ。かあいさう。
 市野川やみんながぞろぞろ崖をみちの方へ上って行くらしい。
 さうすればおれはやっぱり川を下った方がいゝんだ。もしも誰か途中で止ってゐてはわるい。尤《もっと》も靴下《くつした》もポケットに入ってゐるし必ず下らなければならないといふことはない、けれどもやっぱりこっちを行かう。あゝいゝ気持だ。鉄槌《かなづち》を斯《こ》んなに大きく振って川をあるくことはもう何年ぶりだらう。波が足をあらひ水はつめたく陽《ひ》は射《さ》してゐる。
「先生ぁ、ずゐぶん足ぁ早いな。」富手かな、菅木かな、あんなことを云ってゐる。足が早いといふのは道をあるくときの話だ。こゝも平らで上等の歩道なのだ。たゞ水があるばかり。
「先生、あの崖《がけ》のどご色変ってるのぁ何してす。」簡だ。崖の色か。
〔あれは向ふだけは土が落ちたんです。滑って。〕
 うん。あるある。これが裂罅《れっか》を温泉の通った証拠だ。玻璃蛋白石《はりたんぱくせき》の脈だ。
〔こゝをごらんなさい。岩のさけ目に白いものがつまってゐるでせう。これは温泉から沈澱《ちんでん》したのです。石英です。岩のさけ目を白いものが埋めてゐるでせう。いゝ標本です。〕みんなが囲む。水の中だ。
「取らへなぃがべが。」「いゝや、此処《ここ》このまんまの標本だ。」
「それでも取らへなぃがべが。」〔取って見ますか。取れます。〕
 中々面倒だ。
「先生こっちにもっと大きなのあるんす。」あるある。これならネストと云ってもいゝ。これなら取れる。ハムマアの尖《とが》った方ではだめだ。平たい方は……。
 水がぴちゃぴちゃはねる。そっちの方のものが逃げる、ふん。
〔水がはねますか。やっぱりこっちでやるかな。〕
 白く岩に傷がついた。二所《ふたところ》ついた。
 とれる。とれた。うまい。新鮮だ。青白い。
 緑簾石《りょくれんせき》もついてゐる。さうぢゃないこれは苔《こけ》だ。〔いゝですか。これは玻璃蛋白石です。温泉から沈澱したのです。晶洞もあります。小さな石英の結晶
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