過ぎて玄関でがたっと自転車を置いた音がしてそれからシラトリ属がまるで息を切らして帰って来たのです。
「どうだった。」署長は待ち兼ねてさう訊《たづ》ねました。
「だめです。」
「いけなかったか。」署長はがっかりしました。
「仰《おっしゃ》ったとほり云ってだまって向ふの顔いろを見てゐたのですけれどもまるで反応がありませんな、さあ、まあそんなことも仰っしゃっておいででしたがどうもお役人方の仰っしゃることはご無理もあればむづかしいことも多くてなんててんでとり合はないのです。」
「顔色を変へなかったか。」
「少しも変りませんでした。」
「それからどうした。」
「仕方ありませんからそこを出て村の居酒屋へいきなり乗り込んであった位の酒を瓶詰《びんづめ》のもはかり売のも全部片っぱしから検査しました。」
「うんうん。そしたら。」
「そしたら瓶詰はみんなイーハトヴの友でしたしはかり売のはたしかに北の輝《てる》です。」
「北の輝の方がいくらか廉《やす》いんだな。」
「さうです。」
「たしかに北の輝かね。」
「さうです。それから酒屋の主人に帳簿を出さしてしらべて見ましたが酒の売れ高がこのごろ毎年減って行くやうであります。」
「をかしいな。前にはあの村はみんな濁り酒ばかり呑《の》んでゐたのにこのごろ検挙が厳しくてだんだん密造が減るならば清酒の売れ高はいくらかづつ増さなければいけない。」
「けれどもどうも前ぐらゐは誰《たれ》も酒を呑まないやうであります。」
「さうかね。」
「それに酒屋の主人のはなしでは近頃は道路もよくなったし荷馬車も通るのでどこの家でもみんな町から直《ぢ》かに買ふからこっちはだんだん商売がすたれると云ひました。」
「をかしいぞ。そんなに町からどしどし買って行くくらゐの現金があの村にある筈《はず》はない。どうもをかしい。よろしい。こんどは私が行って見よう。どうもをかしい。明日から三四日留守するからね。あとをよく気をつけて呉れ給へ。さあ帰ってやすみ給へ。」
税務署長は唇《くちびる》に指をあて、眼を変に光らせて考へ込みながらそろそろ帰り支度をしました。
四、署長の探偵
税務署長のその晩の下宿での仕度ときたら実際科学的なもんだった。
まづ第一にひげをはさみでぢゃきぢゃき刈りとって次に揮発油へ木タールを少しまぜて茶いろな液体をつくって顔から首すぢいっぱいに手にも塗
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