泥はぶつぶつ醗酵する
  ……風が蛙をからかって、
    そんなにぎゅっぎゅっ云はせるのか
    蛙が風をよろこんで、
    そんなにぎゅっぎゅっ叫ぶのか……
北の十字のまはりから
三目星《カシオペーア》の座のあたり
天はまるでいちめん
青じろい疱瘡にでもかかったやう
天の川はまたぼんやりと爆発する
  ……ながれるといふそのことが
    たゞもう風のこゝろなので
    稲を吹いては鳴らすと云ひ
    蛙に来ては鳴かすといふ……
天の川の見掛けの燃えを原因した
高みの風の一列は
射手のこっちで一つの邪気をそらにはく
それのみならず蠍座あたり
西蔵魔神の布呂に似た黒い思想があって
南斗のへんに吸ひついて
そこらの星をかくすのだ
けれども悪魔といふやつは、
天や鬼神とおんなじやうに、
どんなに力が強くても、
やっぱり流転のものだから
やっぱりあんなに
やっぱりあんなに
どんどん風に溶される
星はもうそのやさしい面影《アントリッツ》を恢復し
そらはふたゝび古代意慾の曼陀羅になる
  ……螢は青くすきとほり
    稲はざわざわ葉擦れする……
  うしろではまた天の川の小さな爆発
たちまち百のちぎれた雲が
星のまばらな西寄りで
難陀竜家の家紋を織り
天をよそほふ鬼の族は
ふたゝび蠍の大火ををかす
  ……蛙の族はまた軋り
    大梵天ははるかにわらふ……
奇怪な印を挙げながら
ほたるの二疋がもつれてのぼり
まっ赤な星もながれれば
水の中には末那の花
あゝあたたかな憂陀那の群が
南から幡になったり幕になったりして
くるみの枝をざわだたせ
またわれわれの耳もとで
銅鑼や銅角になって砕ければ
古生銀河の南のはじは
こんどは白い湯気を噴く
     (風ぐらを増す
      風ぐらを増す)
そうらこんどは
射手から一つ光照弾が投下され
風にあらびるやなぎのなかを
淫蕩に青くまた冴え冴えと
蛍の群がとびめぐる
[#改ページ]

  一五六
[#地付き]一九二四、七、五、

この森を通りぬければ
みちはさっきの水車へもどる
鳥がぎらぎら啼いてゐる
たしか渡りのつぐみの群だ
夜どほし銀河の南のはじが
白く光って爆発したり
蛍があんまり流れたり
おまけに風がひっきりなしに樹をゆするので
鳥は落ちついて睡られず
あんなにひどくさわぐのだらう
けれども
わたくしが一あし林のなかにはいったばかりで
こんなにはげしく
こんなに一そうはげしく
まるでにはか雨のやうになくのは
何といふをかしなやつらだらう
ここは大きなひばの林で
そのまっ黒ないちいちの枝から
あちこち空のきれぎれが
いろいろにふるへたり呼吸したり
云はばあらゆる年代の
光の目録《カタログ》を送ってくる
  ……鳥があんまりさわぐので
    私はぼんやり立ってゐる……
みちはほのじろく向ふへながれ
一つの木立の窪みから
赤く濁った火星がのぼり
鳥は二羽だけいつかこっそりやって来て
何か冴え冴え軋って行った
あゝ風が吹いてあたたかさや銀の分子《モリキル》
あらゆる四面体の感触を送り
蛍が一そう乱れて飛べば
鳥は雨よりしげくなき
わたくしは死んだ妹の声を
林のはてのはてからきく
  ……それはもうさうでなくても
    誰でもおなじことなのだから
    またあたらしく考へ直すこともない……
草のいきれとひのきのにほひ
鳥はまた一そうひどくさわぎだす
どうしてそんなにさわぐのか
田に水を引く人たちが
抜き足をして林のへりをあるいても
南のそらで星がたびたび流れても
べつにあぶないことはない
しづかに睡ってかまはないのだ
[#改ページ]

  一五七
[#地付き]一九二四、七、

ほほじろは鼓のかたちにひるがへるし
まっすぐにあがるひばりもある
岩頸列はまだ暗い霧にひたされて
貢った暁の睡りをまもってゐるが
この峡流の出口では
麻のにほひやオゾンの風
もう電動機《モートル》も電線も鳴る
夜もすがら
風と銀河のあかりのなかで
ガスエンヂンの爆音に
灌漑水の急にそなへたわかものたち、
いまはなやかな田園の黎明のために
それらの青い草山の
波立つ萱や、
古風な稗の野末をのぞみ
東のそらの黝んだ葡萄鼠と、
赤縞入りのアラゴナイトの盃で
この清冽な朝の酒を
胸いっぱいに汲まうでないか
見たまへあすこら四列の虹の交流を
水いろのそらの渚による沙に
いまあたらしく朱金や風がちゞれ
ポプルス楊の幾本が
繊細な葉をめいめいせはしくゆすってゐる
湧くやうにひるがへり
叫ぶやうにつたはり
じつにわれらのねがひをば
いっしんに発信してゐるのだ
[#改ページ]

  一五八
[#地付き]一九二四、七、一五、

(北上川は※[#「螢」の「虫」に代えて「火」、第3水準1−87−61]気をながしィ
 山はまひるの
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