。私も行く。
 雲が白くて光ってゐる。早池峰《はやちね》の西どなりの群青《ぐんじゃう》の山の稜《りょう》が一つ澱《よど》んだ白雲に浮き出した。薬師岳だ。雲のために知らなかった薬師岳の稜を見るのだ。
 今日も鳥が啼《な》いてゐる。お城の方へ行かうか。おしろには前の日曜のさみしさがまだ浸《し》み込んで残ってゐるからだめだ。さうして見るともっと東の遠くの方まで出かけよう。
 製板所も見えます。向ふから工夫がひとりやって来る。ちゃうど私にぶっつかるばかりだ。私は線路をあるいてゐます。一寸《ちょっと》でも挨拶《あいさつ》しよう。けれどもそれもをかしい。たゞ私はみちを避けよう。さうだ。この人は何とも思ってゐないのだ。ずゐぶんみんな歩くのだからすっかりなれてしまってゐるのだ。それから瀬川の鉄橋のたもとから髪の長いせいの低い太った人が出て来ます。黒沢のやうにも見える。黒沢にしては何だか顔が厳しいやうだ。やっぱりさうだ。
「今日何処まで。」
「はあ、すぐそごまで、お通しやてくなんせや。」
「はあ、いゝえ、向ふ側さすか。」
「はあ。」
 鉄橋のこっち岸の石垣《いしがき》を積み直すのだ。今日はずゐぶん人が来てゐる。請負の〔二字分空白〕さんも居るだらう。ずうっと足の下だ。こっちは橋の上を行くのだから一向かまはない。南の方はそら一杯に霽《は》れた。土耳古《トルコ》玉だ。それから東には敏感な空の白髪が波立つ。光の雲のうねと云った方がいゝ、南はひらけたトウクォイス、東は銀の雲のうね、書いて行かうか。けれどもどうも斯《か》う云ふ調子にのった語《ことば》は軽薄でいけない。それでもやっぱり仕方ない。
 もう鉄橋を渡って行かう。鉄橋を渡るときポケットに手を入れて行くのはいゝにはいゝんだ。下でも人が見てゐるし。けれどもやっぱりごく堅実に渡って行くのだ当然だ。人はゐるゐる。あの二つの顔は知ってゐる。枕木《まくらぎ》はうすい灰色曲ったり間隔もずゐぶん不同だ。水がたしかに下を流れてゐるけれどもおれはそれを見ようとはしない。気にかゝるのは却《かへ》って南のトークォイスの光の板だ。
 渡れ渡れ、一体これではあんまり枕木の間隔がせますぎるのだ。大股《おほまた》に踏んで行かれない。もう水の流れる所も通ったし、ずゐぶん早い。この二枚の小さな縦板は汽車をよける為《ため》のだな。こゝで首尾よくよけられるだらうか。もし今汽車がやって来たらはねおりるかぶら下るかだ。まづすばやく手帳と万年筆をはふり出すことだ。それからあとはもう考へなくてもいゝぞ。
 すぐ向ふ岸だ。砂利の白や新鮮なすぎな。
 着いた。立派な野菜だごぼうや何か。
 すなつち。
 馬は黒光り、はねあがる。はねあがれば馬は竜だ。赤い眼をして私を見下す。



底本:「新修宮沢賢治全集 第十四巻」筑摩書房
   1980(昭和55)年5月15日初版第1刷発行
   1983(昭和58)年1月20日初版第4刷発行
入力:林 幸雄
校正:mayu
2003年1月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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