燈が明るく点《つ》き、火はまっ赤に熾《おこ》りました。
赤シャツの農夫は炉のそばの土間に燕麦《オート》の稈《わら》を一束敷いて、その上に足を投げ出して座り、小さな手帳に何か書き込んでゐました。
みんなは本部へ行ったり、停車場まで酒を呑《の》みに行ったりして、室《へや》にはたゞ四人だけでした。
(一月十日、玉蜀黍《きみ》脱穀)と赤シャツは手帳に書きました。
「今夜積るぞ。」
「一尺は積るな。」
「帝釈《たいしゃく》の湯で、熊《くま》又捕れたってな。」
「さうか。今年は二疋目だな。」
その時です。あの蒼白い美しい柱時計がガンガンガンガン六時を打ちました。
藁《わら》の上の若い農夫はぎょっとしました。そして急いで自分の腕時計を調べて、それからまるで食ひ込むやうに向ふの怪しい時計を見つめました。腕時計も六時、柱時計の音も六時なのにその針は五時四十五分です。今度はおくれたのです。さっき仕事を終って帰ったときは十分進んでゐました。さあ、今だ。赤シャツの農夫はだまって針をにらみつけました。二人の炉ばたの百姓たちは、それを見て又面白さうに笑ったのです。
さあ、その時です。いままで五時五十分を指してゐた長い針が俄《には》かに電《いなづま》のやうに飛んで、一ぺんに六時十五分の所まで来てぴたっととまりました。
「何だ、この時計、針のねぢが緩んでるんだ。」
赤シャツの農夫は大声で叫んで立ちあがりました。みんなもも一度わらひました。
赤シャツの農夫は、窓ぶちにのぼって、時計の蓋《ふた》をひらき、針をがたがた動かして見てから、盤に書いてある小さな字を読みました。
「この時計、上等だな。巴里《パリ》製だ。針がゆるんだんだ。」
農夫は針の上のねぢをまはしました。
「修繕したのか。汝《うな》、時計屋に居たな。」炉のそばの年老《としと》った農夫が云ひました。若い農夫は、も一度自分の腕時計に柱時計の針を合せて、安心したやうに蓋をしめ、ぴょんと土間にはね降りました。
外では雪がこんこんこんこん降り、酒を《の》呑みに出掛けた人たちも、停車場まで行くのはやめたらうと思はれたのです。
底本:「新修宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房
1979(昭和54)年9月15日初版第1刷発行
1983(昭和58)年4月20日初版第5刷発行
入力:林 幸雄
校正:今井忠夫
2003年4月2日作成
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