らにぎつしり居るだらうか、ああぼくはその中をどこまでも歩いて見たいと思つたりしてしばらくぼんやり立つて居ました。
 それから俄かにお母さんの牛乳のことを思ひだしてジヨバンニはその店をはなれました。
 そしてきゆうくつな上着の肩を氣にしながら、それでもわざと胸を張り、大きく手を振つて町を通つて行きました。
 空氣は澄みきつて、まるで水のやうに通りや店の中を流れましたし、街燈はみなまつ青なもみや楢の枝で包まれ、電氣會社の前の六本のプラタナスの木などは、中に澤山の豆電燈がついて、ほんたうにそこらは人魚の都のやうに見えるのでした。子どもらは、みんな新らしい折のついた着物を着て、星めぐりの口笛を吹いたり、「ケンタウルス、露をふらせ。」と叫んで走つたり、青いマグネシヤの花火を燃したりして、たのしさうに遊んでゐるのでした。けれどもジヨバンニは、いつかまた深く首を垂れて、そこらのにぎやかさとはまるでちがつたことを考へながら牛乳屋の方へ急ぐのでした。
 ジヨバンニは、いつか町はづれのポプラの木が幾本も幾本も、高く星ぞらに浮かんでゐるところに來てゐました。その牛乳屋の黒い門を入り、牛の匂のするうすぐらい臺所の前に立つて、ジヨバンニは帽子をぬいで「今晩は」と云ひましたら、家の中はしいんとして誰も居たやうではありませんでした。
「今晩は、ごめんなさい。」ジヨバンニはまつすぐに立つてまた叫びました。するとしばらくたつてから、年老つた女の人が、どこか工合が惡いやうにそろそろと出て來て何か口の中で云ひました。
「あの、今日、牛乳が僕んとこへ來なかつたので、貰ひにあがつたんです。」ジヨバンニが一生けん命勢ひよく云ひました。
「いま誰もゐないでわかりません。あしたにして下さい。」その人は赤い眼の下のところを擦りながら、ジヨバンニを見おろして云ひました。
「おつかさんが病氣なんですから今晩でないと困るんです。」
「ではもう少したつてから來てください。」その人はもう行つてしまひさうでした。
「さうですか。ではありがたう。」ジヨバンニは、お辭儀をして臺所から出ました。けれどもなぜか泪がいつぱいに湧きました。
(ぼくは早く歸つておつかさんにあの時計屋のふくろふの飾りのことや星座早見のことをお話しよう。)ジヨバンニはせはしくこんなことを考へながら、十字になつた町のかどをまがらうとしましたら、向うの橋へ行く方の
前へ 次へ
全45ページ中7ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
宮沢 賢治 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング