忘れてはいけない。
 それではもう日中だからみんなは立ってやすみ、食事《しょくじ》をしてよろしい。」
 アラムハラドは礼《れい》をうけ自分もしずかに立ちあがりました。そして自分の室に帰る途中《とちゅう》ふとまた眼をつぶりました。さっきの美しい青い景色《けしき》がまたはっきりと見えました。そしてその中にはねのような軽《かる》い黄金いろの着物《きもの》を着た人が四人まっすぐに立っているのを見ました。
 アラムハラドは急《いそ》いで眼をひらいて少し首をかたむけながら自分の室に入りました。

     二

 アラムハラドは子供らにかこまれながらしずかに林へはいって行きました。
 つめたいしめった空気がしんとみんなのからだにせまったとき子供らは歓呼《かんこ》の声をあげました。そんなに樹《き》は高く深《ふか》くしげっていたのです。それにいろいろの太さの蔓《つる》がくしゃくしゃにその木をまといみちも大へんに暗《くら》かったのです。
 ただその梢《こずえ》のところどころ物凄《ものすご》いほど碧《あお》いそらが一きれ二きれやっとのぞいて見えるきり、そんなに林がしげっていればそれほどみんなはよろこびました。
 大臣《だいじん》の子のタルラはいちばんさきに立って鳥を見てはばあと両手《りょうて》をあげて追《お》い栗鼠《りす》を見つけては高く叫《さけ》んでおどしました。走ったりまた停《とま》ったりまるで夢中《むちゅう》で進《すす》みました。
 みんなはかわるがわるいろいろなことをアラムハラドにたずねました。アラムハラドは時々はまだ一つの答をしないうちにも一つの返事《へんじ》をしなければなりませんでした。
 セララバアドは小さな革《かわ》の水入れを肩《かた》からつるして首を垂《た》れてみんなの問《とい》やアラムハラドの答をききながらいちばんあとから少し笑《わら》ってついて来ました。
 林はだんだん深《ふか》くなりかしの木やくすの木や空も見えないようでした。
 そのときサマシャードという小さな子が一本の高いなつめの木を見つけて叫びました。
「なつめの木だぞ。なつめの木だ。とれないかなあ。」
 みんなもアラムハラドも一度《いちど》にその高い梢を見上げました。アラムハラドは云《い》いました。
「あの木は高くてとどかない。私どもはその実《み》をとることができないのだ。けれどもおまえたちは名高いヴェーッサンタラ大王のはなしを知っているだろう。ヴェーッサンタラ大王は檀波羅蜜《だんばらみつ》の行《ぎょう》と云ってほしいと云われるものは何でもやった。宝石《ほうせき》でも着物《きもの》でも喰《た》べ物でもそのほか家でもけらいでも何でもみんな乞《こ》われるままに施《ほどこ》された。そしておしまいとうとう国の宝《たから》の白い象《ぞう》をもお与《あた》えなされたのだ。けらいや人民《じんみん》ははじめは堪《こら》えていたけれどもついには国も亡《ほろ》びそうになったので大王を山へ追《お》い申《もう》したのだ。大王はお妃《きさき》と王子王女とただ四人で山へ行かれた。大きな林にはいったとき王子たちは林の中の高い樹《き》の実《み》を見てああほしいなあと云《い》われたのだ。そのとき大王の徳《とく》には林の樹もまた感《かん》じていた。樹の枝《えだ》はみな生物のように垂《た》れてその美《うつく》しい果実《くだもの》を王子たちに奉《たてまつ》った。
 これを見たものみな身《み》の毛もよだち大地も感《かん》じて三べんふるえたと云うのだ。いま私らはこの実をとることができない。けれどももしヴェーッサンタラ大王のように大へんに徳のある人ならばそしてその人がひどく飢《う》えているならば木の枝はやっぱりひとりでに垂れてくるにちがいない。それどころでない、その人は樹をちょっと見あげてよろこんだだけでもう食べたとおんなじことにもなるのだ。」
 アラムハラドは斯《こ》う云ってもう一度《いちど》林の高い木を見あげました。まっ黒な木の梢《こずえ》から一きれのそらがのぞいておりましたがアラムハラドは思わず眼《め》をこすりました。さっきまでまっ青《さお》で光っていたその空がいつかまるで鼠《ねずみ》いろに濁《にご》って大へん暗《くら》く見えたのです。樹はゆさゆさとゆすれ大へんにむしあつくどうやら雨が降《ふ》って来そうなのでした。
「ああこれは降って来る。もうどんなに急《いそ》いでもぬれないというわけにはいかない。からだの加減《かげん》の悪《わる》いものは誰々《だれだれ》だ。ひとりもないか。畑《はたけ》のものや木には大へんいいけれどもまさか今日こんなに急《きゅう》に降るとは思わなかった。私たちはもう帰らないといけない。」
 けれどもアラムハラドはまだ降るまではよほど間《ま》があると思っていました。ところがアラムハラドの斯《こ》う云ってしまうかしまわないうちにもう林がぱちぱち鳴りはじめました。それも手をひろげ顔をそらに向《む》けてほんとうにそれが雨かどうか見ようとしても雨のつぶは見えませんでした。
 ただ林の濶《ひろ》い木の葉《は》がぱちぱち鳴っている〔以下原稿数枚?なし〕


 入れを右手でつかんで立っていました。〔以下原稿空白〕



底本:「インドラの網」角川文庫、角川書店
   1996(平成8)年4月25日初版発行
底本の親本:「新校本 宮澤賢治全集」筑摩書房
   1995(平成7)年5月〜
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2005年9月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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