あられのような、又《また》蛋白石《たんぱくせき》を刻んでこさえた葡萄《ぶどう》の置物のような雲の峯は、誰《たれ》の目にも立派に見えますが、蛙どもには殊《こと》にそれが見事なのです。眺《なが》めても眺めても厭《あ》きないのです。そのわけは、雲のみねというものは、どこか蛙の頭の形に肖《に》ていますし、それから春の蛙の卵に似ています。それで日本人ならば、ちょうど花見とか月見とか言う処《ところ》を、蛙どもは雲見をやります。
「どうも実に立派だね。だんだんペネタ形になるね。」
「うん。うすい金色だね。永遠の生命を思わせるね。」
「実に僕《ぼく》たちの理想だね。」
 雲のみねはだんだんペネタ形になって参りました。ペネタ形というのは、蛙どもでは大へん高尚《こうしょう》なものになっています。平たいことなのです。雲の峰《みね》はだんだん崩《くず》れてあたりはよほどうすくらくなりました。
「この頃《ごろ》、ヘロンの方ではゴム靴がはやるね。」ヘロンというのは蛙語です。人間ということです。
「うん。よくみんなはいてるようだね。」
「僕たちもほしいもんだな。」
「全くほしいよ。あいつをはいてなら栗《くり》のいが
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